2017年7月29日土曜日

7月の3連休旅行:米ヶ崎城 (岩手県陸前高田市)

2017年7月16日訪城。

7月15日は仙台から前谷地まで鉄道で移動し、そこからBRTで気仙沼まで移動して到着した頃にはすっかり夜だった。次の日は朝からBRTで陸前高田方面へと出かけた。気仙沼の旧鹿折唐桑駅前付近も大分建物が増えて変わっていたが、陸前高田の方は旧市街の中心部の嵩上げがある程度終わっていて、人造の台地の上に新たにショッピングモールが出来ていた。

今回向かった先は以前、蛇ヶ崎城を散策した後に向かおうとして海岸の道が通行止めで諦めた米ヶ崎城へのリトライである。米ヶ崎城は広田湾に山から突き出た丘陵が岬になっている場所で、気仙郡で大乱を起こしたことで名高い葛西氏家臣の浜田広綱の居城跡である。

岬の中ほどから主郭方面を見る
岬の基部に堀があってそこから岬の先端までが城跡だというが、現状は岬の北側半分ほどは住宅地になっている。画像は住宅地が途切れた所の浜から主郭方面を見た様子。


郭跡
住宅地の中は舗装されているが、城跡中心部に向かう道は山道に近い感じの道で、この先にある畑や神社へと続いているが、道を外れた場所にある郭跡は藪化していて平場だと辛うじてわかる程度だった。


二の郭跡と枯死した松
二の郭跡は現在畑になっており、この郭の北西部に松の巨木があるのだが、残念ながら枯死してしまっていた。ちなみに情報ではこの松の麓に浜田広綱の墓があるそうだが、この時は蜘蛛の巣との格闘に必死で確認していない。


主郭腰郭の紫陽花
主郭の腰郭まで来るとそこには紫陽花の群落が広がっており、ちょうど花を咲かせていて綺麗だった。ほとんどがガクアジサイだったため、写真だとボリュームが無いように見えるのが少々難点。


主郭腰郭のホンアジサイ
最初はガクアジサイだけかと思っていたが、よく見るとホンアジサイも所々に交じっていた。紫陽花はほぼ規則正しく並んでいるため、恐らく過去にこの地域の人が植えたものなのだろう。


主郭の米崎八幡神社
主郭跡には米崎八幡神社があるが、浜田氏が米ヶ崎城に移る前に居城としていた高田城にも八幡神社があるため、ここも浜田氏が城の守護として勧請した八幡神社が今に続いているものだろう。なお、岬の先端に近い丘の上だが、樹木が茂っているため展望は悪い。


岬の先端方面の郭
岬の先端に向かおうと思ったがこの先は藪化していたため諦めた。先人の写真を見ると画像の場所は綺麗に刈り払われてまるで芝生のようになっており、時の残酷さを感じる。

2017年7月22日土曜日

7月の三連休旅行:仙台城 (宮城県仙台市)

2017年7月15日訪城。

7月の三連休はGW以来久々に遠出が叶ったので、三陸方面へと出かけた。結論から言うと梅雨前線に振り回されて予定の半分以上が消化できない結果となり、ちょっと旅程には後悔が残った。

初日はほぼ移動だけのため、仙台に立ち寄って昼食ついでに伊達家の居城である仙台城へ向かった。


扇坂
仙台駅から仙台城に行く公共交通の手段は以前はバスだけだったが、今は地下鉄の「国際センター駅」からもアクセスできる。この駅から出てすぐの場所に扇坂があり、かつて一般の仙台藩士はここから御城に登城(出勤)していた。なので、仙台藩士気分でお城にいけるのだが、この坂を整備する際に盛り土をして写真の通りの階段を付けてしまったため、当時の気分そのままとはいかないのが惜しいところ。


二の丸の紫陽花
二の丸内部は大半が大学の施設なため見所が無いのが残念だが、公園部分に少ないながらも紫陽花が咲いていた。


二の丸のベンチ
昔、桜の時期に仙台城のこの場所では大学生が集まってここでバーベキューをしながら花見をしていたのが印象的だったが、今回訪れたら見違えるように綺麗なベンチになっていた。


中の門跡
二の丸から本丸に向かう途中にある中の門跡も整備が完了しており、砂利道だった場所は歩きやすい土色のアスファルトになって、ベンチなんかも出来ていた。


本丸の御殿跡
 仙台城の本丸は相も変わらず観光客と地元の人間で賑わっており、なるべく人物が写らないようにするのが大変だった。


本丸から見た城下町
本丸から見る景色は相変わらず絶景だったが、天候がイマイチなのが残念なところ。ただ、晴天だとこれ以上の暑さに打ちのめされるため悩ましい。


本丸の紫陽花
本丸でも紫陽花が咲いていたが、青と白だった二の丸と違い、こちらは紫とピンクだった。


2017年度のお花見:檜山城 (秋田県能代市)

2017年5月2日訪城。

羽黒山登山の後、山形県から秋田県に向かい、秋田で一泊した翌朝に檜山へと向かった。檜山はかつての安東氏の居城である檜山城があった城下町で、江戸時代は宿場町となった。

城下町の桜
桧山のかつて城下町だった住宅地にはどこもかしこも桜が咲いており、なんとも雅な感じだったが、意外にもこれらの桜は昭和の頃に記念で寄贈された桜を植えたのが始まりだという。


浄明寺山門
城下町の中にある浄明寺の山門は檜山城から移築された「城下がりの門」と言われてきたが、解体修理した結果ではどうやら寺の住職が建てたようで違うようだ。


北限の茶畑
桧山は日本では最も北にある茶畑がある。昔、檜山城を訪れた時には確か三の丸あたりにもお茶の木?が植えられていた気がする。


多賀谷館跡
桧山城から谷の城下町を挟んで西側の丘の上にあるのが江戸時代のこの地の代官である多賀谷氏の居城。内部は過去に訪れた時に散策しているが、今回は時間の都合でパス。


多宝院
前述の多賀谷氏の菩提寺が多宝院で、元々は常陸国の下妻にあったが、佐竹氏の転封に伴い家臣の多賀谷氏もこの地に移された際に、多賀谷氏の菩提寺であるこの寺もここに移転した。


多宝院のしだれ桜
この寺の枝垂桜は観光雑誌に載るほどで確かに見事だったが、時間が早すぎたせいで東から登る朝日の山影になってしまい満足の出来る写真が撮れなかった。


檜山城からの眺め
寺院を見た後は檜山城に登ったが、三の丸の端の土塁(櫓台?)の上から見た景色はなかなかの絶景だった。檜山が周囲を山に囲まれた中にある実に中世戦国時代らしい城下町の立地だということがよくわかる。今の大河ドラマでやってる井伊谷城の実物からの景色もこんな感じだった。


檜山城三の丸
桧山城の三の丸は尾根を水平に削平して作られているため細長い郭になっている。奥に見える土塁のような所が絶景ポイント。


檜山城本丸
桧山城の本丸には数は少ないが城下町同様に枝垂桜があってちょうど散り始めていた。よく見てみると八重桜と思われる木もあり、こちらはまだこの時(5/2)は蕾だった。


桝形虎口
本丸の背後の切岸の先の郭(名称不明)には恐らく城内で最も技巧的な桝形の虎口が残っており、虎口を出た先は堀切になっているため、背後の将軍山が先に陥落した後に本丸を守るための構造だというのが良くわかる。


動物の糞
以前来た時はこの虎口の先は蜘蛛の巣のオンパレードで破る作業にうんざりして途中で撤退したが、今回は動物の糞山を見つけて嫌な予感がしたため引き返す結果になった。これで通算2度目の敗退である。