2018年7月22日日曜日

2018年の花見旅:堀越城(青森県弘前市)

2018年5月1日訪城。

弘前城で花見を楽しんだ後、郊外へと移動して弘前城が完成する前の津軽氏の居城である堀越城へと移動した。堀越城にはかなり久しぶりに訪れたが、ちょうど史跡公園整備の真っ最中で以前とは大きく変貌していた。

二の丸の虎口(土橋)
弘南バスの堀越のバス停から熊野神社の鳥居を潜った先が城跡で、住宅地になっている小丸跡を抜けると二の丸の虎口となる。画像はその虎口の土橋の部分になるが、正面に見える土塁の穴は公園の通路の為の穴で、残念ながら虎口ではない。


二の丸の虎口(喰い違い虎口)
二の丸のこの部分は喰い違い虎口になっており、土橋を通って堀を渡った後、画像左に見える犬走を通って画像中央の土塁が死角になっている虎口から入る構造になっている。


二の丸
二の丸跡内部には蔵や鍛冶場があったようで、画像のように蔵の跡が平面復元されていた。奥に見えるのは本丸の土塁と西門跡。


本丸内堀
外堀は現状空堀になっていたが、本丸の内堀は水堀になっており、この辺りは以前来た時と同じ風景である。本来なら本丸のソメイヨシノが堀沿いに見られるはずだが、この時には既に全て散ってしまっていた。


本丸熊野神社
本丸内部には以前と同様に熊野神社が鎮座しており、神社のところは発掘調査していないがかつては奥御殿があった場所と推測されている。


本丸の八重桜
神社の鳥居の先に八重桜が1本だけあり、ちょうど蕾から咲き始めているところだった。辛うじて花見にはなっているが、花も見るなら4月下旬のソメイヨシノの頃に来る方が良さそうだ。


本丸御殿跡
本丸跡には本丸御殿跡が平面復元されており、規模的に同じ県内の根城の本丸御殿と似たような建物が建っていたようだ。以前来た時には、この辺りには公園の遊具等があったので、本丸内ではこの東側が特に史跡整備で変わっていた。


本丸東門跡
特に一番驚いたのは本丸東門跡で、以前来た時は土塁が開墾か何かで欠けた跡だと思っていたが、それは大きな間違いで、この場所には櫓門とそれに繋がる門番の詰め所があったのだという。どうみてもこちらが大手門であり、西門の方は裏門ということになる。


整備中
三の丸についてはまだ絶賛整備中であり、土塁の上に登れる場所等もまだ説明版が枠のみ等で、外堀方面では重機が稼働中だった。


史跡公園全体図
堀越城の史跡公園整備は来年まで続くようで、2018年5月1日時点では画像の色の付いている部分の左上3分の1ほどしか開放されておらず、下の方や国道を挟んだ右側等は工事中になっている。

2018年7月9日月曜日

2018年の花見旅:弘前城(青森県弘前市)

2018年5月1日訪城。

GWに入ってからは桜前線を追いかけて北東北に移動したが、今年は前線の速度が速く、GWの桜の名所である弘前城も既にソメイヨシノが散ってしまっていた。ただ、ソメイヨシノ以外の桜はほぼ満開であったため、多様な桜の意外な一面が見れて結果的には良かった。

三の丸東門近辺の桜
弘前城には本当に多種多様な桜があり、色々見て回ったものの名前が覚えられないくらいだった。画像は左は枝垂桜で、右は横浜緋桜。


三の丸東の広場の桜
三の丸の東の広場付近が腰を据えた花見客には人気のようで、このあたりには関山桜や普賢桜等の花のボリュームがある桜が多くて圧巻だった。画像の左が関山桜で右のもこもこしてるのが普賢桜。


三の丸ピクニック広場の桜
変わり種だと黄緑色のウコン桜なんかもところどこに見られた。似たようなものに御衣黄桜があるが、こちらは三の丸追手門付近にあった。


北の丸の八重桜
北の丸は桜祭りの時期は沢山の露店で賑わいを見せるが、このあたりでは八重桜の関山桜が多くみられた。なお、弘前城の露店で食べた中では「嶽きみ」の揚げ物が一番好きだった。


本丸の桜
本丸は枝垂桜が目立っていたが、天守の近くだとウコン桜も満開で綺麗だった。ちなみに残念ながらこの日は岩木山は曇って見えなかった。


本丸石垣修理現場
本丸の石垣修理現場はちょうど石垣を解体し終わった所のようで、全体的にシートが掛けられていた。画像は石垣修理現場を横から見ることが出来る本丸のプレハブの中から撮影。


弘前城情報館
弘前城には今まで何度も来ているが、今回弘前城を訪れて驚いたのは「弘前城情報館」なる施設が新しく出来ていたこと。ここの中では主に映像での弘前城の資料が見られ、プロジェクションマッピングの展示等は新鮮で面白かった。

2018年7月1日日曜日

2018年の花見旅:松山城(山形県酒田市)

2018年4月22日訪城。

酒田で一泊した後、翌日は酒田市郊外の旧松山町へと出かけた。ここには松山城があり、かつては酒田藩支藩の松山藩の城下町だった場所である。

水路
松山の町に入ると街中を横切る水路が目に付くが、これは城下町の頃から残る水路で、水路より山側がお城と武士の町で、平野側が民衆の町だった。水路は真っ直ぐではなく緩やかにカーブを描いており、独特な街の風景を生み出していて面白い。


大手馬出
城の大手口には丸馬出があり、馬出の外の堀は残念ながら埋まっていたが、その形がよく残されていた。画像の手前のアスファルトが堀の跡である。


大手門
馬出を含む城址の本丸周辺は今は歴史公園になっており、馬出の先には山形県では唯一現存する櫓門の大手門があった。城としての知名度はかなり低いが、文化財としては奥羽圏内でもかなり貴重なものでとにかく見事なものである。何せ移築を除けば櫓門が当時と同じ位置にあるのは東北地方では弘前城くらいしかない。


本丸跡
大手門の先はかつては三の丸跡で、今は文化伝承館があるが、すぐそばに少し高くなった広場があり、ここが本丸跡になる。当時は本丸と三の丸は区切って間に堀を置き、三の丸からは二の丸を経由しないと本丸に行けないような構造になる…はずだったが、資金難で結局内堀は造られなかった。


本丸の桜
馬出の桜もソメイヨシノや枝垂桜が綺麗だったが、本丸の隅にも数本だけ桜があり、ちょうど満開で綺麗だった。


本丸土手
本丸跡の広場周辺では土塁は見られなかったが、そこから城址館がある北側へ行くと本丸土手という土塁の一部がちゃんと残っていた。ただ、ペーパープラン時代の絵図を見るとここは二の丸の土塁に見えるので、結局二の丸と本丸の境界が完成せずに本丸として認識されていたということだろうか。


十三間堀
本丸土手とは逆に公園よりも南の学校や住宅地のある方面に行くと、三の丸の外堀の一部だった十三間堀が残されていた。ここの堀の周囲にはソメイヨシノが植えられており、この時はちょうど桜吹雪が始まりだして綺麗だった。当然、堀には真新しい花筏が出来ており、これもまた綺麗だった。


藩主邸跡で後に藩校跡
最後に藩主邸があった二の丸跡も立ち寄ったが、ここは藩主邸の後に藩校が造られており、現在はその跡が学校になっているのだから面白い。

2018年6月23日土曜日

2018年の花見旅:仁賀保陣屋(秋田県にかほ市)

2018年4月21日訪城。

浜館公園を散策後、国道へと降りて南下し仁賀保の町へと移動した。この町には江戸時代に旗本の仁賀保家の陣屋が置かれており、目的地はその陣屋跡である。

仁賀保公園
陣屋跡は今は公園と神社になっており、丘の下の低地部分が仁賀保公園という小さな公園になっている。陣屋の標柱はこの公園内の斎藤宇一郎像の側にあった。


公園の桜
数こそは多くないものの公園内には桜(ソメイヨシノ)が植えられており、ちょうど満開で夕焼けに照らされて綺麗だった。


防火水槽(水堀跡)
陣屋の周囲は水堀で囲まれていたようだが、大部分は埋められて消滅しており、西側の堀の一部が防火水槽になって辛うじて残っていた。


仁賀保神社
陣屋跡の丘の上は今は仁賀保神社と斎藤神社の境内になっており、西側に丘に登る参道が付いているが、陣屋時代の丘に登る道は北側にある道だと思われる。なお、東側にも丘に登る階段があり、駅からはこちらのほうが近い。


神社境内
丘の上の神社境内は思ったよりも広く、本殿のある場所付近は元は神社以外の建造物があったような形跡がある。陣屋には役所と米蔵と牢屋があったそうだが、丘の上にあったのは役所と牢屋だろうか?


土俵
神社境内には土俵もあったのでここでも奉納相撲が行われるのだろう。なお、陣屋内で一番高い場所がこの土俵の奥にある高台である。

2018年6月21日木曜日

2018年の花見旅:浜館(由利本荘市)

2018年4月21日訪城。

4月後半に入ってからは桜前線も北東北まで上がってしまった為、日本海側の秋田と山形の県境付近へと出かけた。この付近には以前から来たかった桜の穴場があると聞いていたからである。

最初に向かった先は由利本荘市の西目町海岸部の丘陵地帯にある浜館で、13年ほど由里氏の居城だった場所である。中世の城としてかなり短命であるが、今はここが地元の桜の名所となっている。

浜館公園東口
浜館公園のある丘陵には、西側の国道からアクセスするか、東側の西目町内陸部からアクセスするかのおおまかに2択になるが、とりあえず距離感を図りたかったので東側から登ったが、こちらは地元の人間じゃないと判り辛そうなルートだった。公園の東口が見えてからはここから城址内部に入ったが、説明板はちょうどこのあたりにあった。


曲輪群
城址は公園化されているが、曲輪の大半は草木に埋もれており、桜の木が植えられているので恐らく昔は草も刈られていたのではと思われる部分もある。桜は恐らくすべてソメイヨシノでここも例に漏れず天狗巣病の症状が出ている木々が多かった。


主郭
頂上部の主郭はベンチ等もあってちゃんと整備されており、中央付近に由里氏の子孫が書いた石碑が建てられている。削平地だということ以外に遺構は見られないが、眺めはそこそこ良かった。


桜と風車と鳥海山
主郭からは満開の桜越しに鳥海山が見え、風車などもあってなかなか絵になる景色であった。

郭跡
桜の木は主郭よりも少し西側に降りた部分の郭跡近辺が綺麗で、ここはちょうど鞍部になっているため、海風も防げて花見には良さそうな場所だった。


館跡西側
浜館公園西側まで行くと削平具合が甘く、ここらへんは城址に含まれるかかなり怪しくなる。ただ、日本海側と西の崖下の街道を監視する見張り台程度の役目はあったと思われる。現在はその眺めが良い場所に、海難事故の供養と防止を願った観音像が建てられている。


急斜面
丘陵の西側はかなりの急斜面でこちら側は自然のままでも十分要害である。眼下には集落や海岸が見えてなかなかの絶景だった。


浜館公園南部
公園の南部まで行くと東屋があり、ここからだと本丸よりも風車がかなり近く見える。ここから下に降りた場所に駐車場があり、駐車場からさらに南に降りていくと国道に出る。駐車場にはトイレもあるが、この時はトイレの水が出ず、公園内のどこにも手を洗える場所が無かった。

2018年6月17日日曜日

2018年の花見旅:岩切城(宮城県仙台市・利府町)

2018年4月14日訪城。

秋保温泉に一泊した翌日は仙台市の泉区側に移動し、桜の名所で名高い岩切城を目指して移動した。岩切城は留守氏の詰めの城で、1351年の「観応の擾乱」では尊氏派の畠山氏と留守氏が籠城して直義派の吉良氏に攻め落とされている。

「県民の森」の山道
今回はとりあえず鶴ヶ丘ニュータウンへと移動してそこから「県民の森」へと入り、そこから山道を通って岩切城を目指した。県民の森の山道は緩やかな登り道で、特に難所は無く、軽いハイキングコースだった。


山桜
山の中には所々に山桜が咲いており、ソメイヨシノと比べると地味ではあるがどこも満開で綺麗だった。


岩切城西曲輪入口
30分ほど歩いた末にようやく岩切城の入口に着いたが、正確には城の西曲輪のさらに西出丸の先端部である。


堀切
城は山の尾根の上を平坦にした曲輪を複数設けて築かれており、一部の郭間には堀切が設けられていた。


曲輪群
曲輪群自体は尾根上に階段状に展開しており、曲輪には今はソメイヨシノが植えられており、ちょうど満開で綺麗だった。強いて言えば天候が曇っているのが残念だった。


本丸
西曲輪の最高所の高森山の山頂部が本丸で、ここも桜が綺麗で花見客もそこそこ多く、なるべく写真に写らないように撮るのに苦労した。山頂だけあってそこそこ眺めも絶景だった。


西曲輪群から見た東曲輪
東曲輪も西曲輪同様に満開の桜で頂上部が覆われているため、西曲輪から谷越しに見た東曲輪の景色も絶景だった。


西曲輪と東曲輪間の堀切
西曲輪と東曲輪の間は細い尾根だけで繋がっており、その尾根には堀切が設けられて画像の箇所で分断されていた。東西どちらかの曲輪が陥落してもここを抑えればなんとか守れる構造である。


東曲輪
東曲輪は西曲輪よりも広い曲輪で構築されており、恐らく御殿に相当する建物があったのだろう。こちら側も桜が満開で綺麗だったが、西曲輪と違って花見客は少なかった。


土塁?
西曲輪の本丸ではこれといったものを見かけなかったが、東曲輪では土塁や説明板といった城跡らしいものが見られた。


東曲輪大手門跡
東曲輪からは東の麓へ山道が伸びており、その途中に大手門跡があった。画像では判り辛いが、山道側は崩されていたものの道を遮断するように土塁と空堀がハッキリ残っていた。


旧道跡?
現在の山道はあきらかに車を通すために後から造られたもので、当時の山道と思われるものが道の脇に残っていた。恐らく堀底道のようなものだったのだろう。


東の登山口
山道を降っていくとやがて民家と畑が見えてきて画像の箇所に着いた。標柱があるおかげで城跡の入口だと判るが、これが無いと気づかない可能性がある。なお、麓にたどり着いた時点で雨が降り出した為、今回の旅はここで切り上げとなった。