2018年9月17日月曜日

9月の福井への旅:福井城-前編-(福井県福井市)

2018年9月9日訪城。

8日の夕方に福井に到着したものの雨で気力が駄々下がりだったため、この日は駅前の石田屋でおでんを肴に飲み明かして終了。翌日もやはり雨だったが、旅の目的である福井藩の藩庁で今も政の中心となっている福井城へと向かった。


百間堀跡
福井駅前の北陸銀行前に百間堀跡の説明板があるが、この説明板によれば自分の立っている場所も画像に見える車道や奥のビル群の場所も含めて全て百閒堀と呼ばれる水堀の跡で、今は完全に埋め立てられているため、堀があったことに気づくのは不可能なレベルである。


百間堀の石垣
百間堀の護岸石垣が埋まっている様子が床の硝子ごしに見えるはずなのだが、雨で曇ってぼやけてよくわからない画像になってしまった。


本丸内堀
当時と同じ水堀が残るのは本丸内堀くらいで、この石垣と水堀のある光景を見るとやっとここが城跡だということが良くわかる。


本丸瓦御門跡
福井城には昔一度だけ来たことがあるが、その時は駆け足でよくわからなかったが、今見てみると地面の赤いレンガは当時の城内へ入る道を表していて、本丸瓦御門の桝形で折れているのが良くわかる。また、画像右の花壇の淵ような低い石垣も当時の櫓門の石垣があった場所を表しており、ここにも画面左と同じ高さの石垣が当時はあったのだ。


本丸御殿跡
赤いレンガは本丸御殿の玄関跡に続いているが、何気に福井県庁の正面玄関もその延長線上にある。もしかすると県庁を設計した人物が狙ってこうしたのかもしれない。


福の井
県庁の裏手に回ると天守台があるが、ここに"福井"の地名の由来となった"福の井"がある。以前は井戸の本体しか無かったが、最近屋根や当時と同じ側溝が復元されたようでまだ木材や石が目新しかった。


地震で歪んだ天守台の石垣
以前、福井城に来た時に印象に残ったのは"歪んだ天守台"で、これは記憶通り今も変わっていなかった。これは昭和23年の福井地震で歪んだもので、震災遺構として今も残されているという。


山里口御門
今回の旅の目的は新しく復元された山里口御門で、ここは本丸の搦手門(裏門)にあたる。両脇の石垣に乗るタイプの櫓門ではなく、石垣より低い位置にある櫓門のため、かなり窮屈に見えるが裏口なので埋門の流れを汲んでいるのだろう。


枡形内部
枡形の内部はS字に折り曲げてあり、かなり防御に気を使った造りになっているのが面白い。内側と外側で瓦の色が違うのが目立つが、内側の青い瓦は笏谷石の石瓦で、外側の赤い瓦は雪害に強い赤瓦だろう。なお、笏谷石の採掘はもうされていないため、赤瓦を使用しているのかもしれない

2018年9月15日土曜日

9月の福井への旅の道中:浜松城(静岡県浜松市)

2018年9月8日訪城。

9月は前々から福井旅行を計画して準備は万端だったが、近畿地方での台風21号の被害が予想以上に大きかった為、今回はキャンセルしようと思ったが、福井側ではあまり大きな被害が無かったのと交通機関は大丈夫そうだったのでそのまま決行することにした。

ただ、結局旅行中はずっと雨だったのと、出発前に北海道胆振東地震が起こって状況が気になってしかたなかったことから、延期するべきだったと後から後悔した。

初日は移動途中でお昼に静岡県の浜松に寄って昼食をとり、せっかくなのでその足で浜松城にも見に行ったのだが、何故か晴れてた空が曇りだして城に着く頃には激しい夕立になってしまった。

浜松城模擬天守閣
遠くで青空が見えているのに土砂降りという、いかにも夏らしい天気で、ちょうど来ていた観光客らしき人達が天守門の軒下と屋根付きの井戸で雨宿りしていたのが印象的な光景だった。


天守曲輪の発掘場所
天守曲輪ではちょうど発掘調査が行われているようで、南側の土塁近辺にビニールシートを被せた発掘場所があった。瓦が発掘されたので建物の痕跡を調べていると言ってた件のやつだろうか?


天守曲輪の石垣
天守曲輪を清水曲輪から見ると特徴的な色合いの石垣が良く見えていい感じだった。そういえば昔は草木が覆っていた印象だが、大分印象が変わった感じがする。富士見櫓跡あたりも木々で視界が悪かった思い出だが、今は大分眺めが良い場所になっていた。

2018年8月25日土曜日

8月の帰省の道中の寄り道:村上城(新潟県村上市)

2018年8月11日訪城。

お盆に実家に戻る際、日本海ルートで青森へと向かっていたが、途中の新潟の村上に立ち寄って昼食をとった際、あまりに天気が良かったので、ついつい近くにあった村上城へと登ってしまった。今回はカメラは持ち歩いていなかった為、スマホでいくつか撮ったが、いずれ改めて訪れたいと思ったいい城だった。

麓の村上城跡碑
城跡の山麓の登山口までの道は住宅地の狭い中を通っており、地味に判り辛い感じだったが、当時はこの麓の住宅地の部分も郭だったらしく、その名残で道が入り組んでいるようだった。

一文字門跡
一文字門跡の石碑がある場所から登山道である七曲が始まっており、一文字門は本来は桝形の立派な櫓門だったが、今では桝形の山側の石垣の一部しか残っていないという残念な状態。

四つ門の石垣
山麓の遺構は残念な状態ではあったが、汗をかきながら七曲の山道を登ると突如、野面積みと打ち込み接ぎが混在した石垣が現れて否が応でも期待が高ぶる。ちなみにここは四つ門という十字路に石垣を配置した他では見られない構造の場所でなかなか興味深いものだった。


御鐘門跡
四つ門から二の丸方面へと向かうと、近世のお城のお手本のような鍵の字に折れ曲がる桝形が現れた。この辺りは切り込み接ぎの石垣のため、比較的新しい時代に造られたようだ。


出櫓跡
二の丸からさらに本丸方面へと登っていくと、威圧感たっぷりの突き出た石垣が現れるが、ここが出櫓跡だという。これもなかなかインパクトがあって素晴らしい。


発掘調査
ちなみに城跡の山の上の部分は発掘調査をしており、ブルーシートのかけられた場所や、剥ぎ取った土の山などが至る所に場所にあった。


本丸天守台
山頂まで登るとそこが本丸で、本丸南西部に天守台の跡がある。当時はこの場所に3階建ての天守閣が建っていたが、落雷で焼失し、以後は再建されることは無かったようである。


本丸からの景色
本丸からの景色はなかなかの絶景で、城下町が全て一望できるのが素晴らしい。遠くには日本海も見え、海側から吹き付ける風が心地よくて良かった。ちなみに徒歩でしかここまでは来れないのだが、意外にも地元の方が頻繁に登ってきていたのが印象的だった。

2018年8月6日月曜日

7月の3連休の南奥州の旅:仙台城(宮城県仙台市)

2018年7月16日訪城。

山形で雨が降り出した為、雨雲から逃げるように宮城県側へと移動し、そのまま仙台城へと向かった。元々、寄る予定は無ったので、国際センター駅周辺を軽く散策しただけである。

片倉小十郎屋敷跡
国際センターの目の前に広がる片倉小十郎屋敷跡は公園として整備されると聞いていたので現状はどうなっているか見に行ったところ、なんか背丈1mほどの草に覆われた草原になっていた。さすがにこれは自然に生えてきたものだと思うが、とりあえず整備工事は整地して以降は特に進展していないようだ。


五色沼
以前来た時工事の真っ最中だった五色沼は元に戻り、水質と護岸部分が綺麗になっていた。また、沼の周囲が以前よりも散策しやすくなっていた。


五色沼の橋
昔は奥の沼の方はほとんど埋まっているような状態だったが、今回の工事でハッキリとした沼に戻った為、沼の間の堤に架かる橋も綺麗に見えるようになった。


大手門跡
仙台城の大手門は焼失する前は国宝に指定されており、戦前まではここが城のシンボルで、団体観光客などがこの大手門の前で記念撮影している写真が残っている。先の五色沼でスケートをやっている昔の写真にもこの大手門が写っており、やはり今に残されていないのが一番悔やまれる建物である。

結局この後、仙台も雨に襲われたため、街に戻って昼間っから飲み明かして帰途についた。

2018年8月5日日曜日

7月の3連休の南奥州の旅:山形城(山形県山形市)

2018年7月16日訪城。

多賀城散策後、「冷やしラーメン」を食べる為に宮城県から山形県に移動し、山形市の栄屋でラーメンを食べて15日は終了した。翌日は山形城三の丸の吹張口から稲荷口まで外堀沿いで見落としている遺構があった為、その部分を散策した。


三の丸吹張口
山形城の三の丸には11箇所の城門があったが、一番南側にあったのが吹張口で、画像の箇所がその吹張口跡を外側から見た光景になる。車道はほぼ当時の道をなぞっている為、右側で微妙に折れているのが判る。画面左の低くなっている部分が三の丸の外堀跡で、中央の黒い碑はこの「濠跡」の碑である。今まで見落としていたが、この吹張口から稲荷口にかけての一帯が、三の丸の塁線の名残を良く残しているのが今回の散策で判った。


三の丸外堀跡の石垣?
さきほどの吹張口から濠跡の方に降りて堀底を進むと左手に石垣が見えてくる。一見すると堀の遺構のようにも見えるが、山形城の外堀は城門の周囲以外には石垣を使っていない為、これは現代に造られたこの上に建っている店のための石垣だろう。


三の丸土塁
道となっている堀底を進むとやがて山形のパンフレットにも載っている三の丸土塁の一部が見えてくる。この部分だけは過去にも確認している。


三の丸外堀跡
さらに堀跡に沿って西に進むと鉄道の下を潜ることになるが、ここはちょうど堀の凹みをうまく利用して通路にしている。


三の丸外堀跡
堀跡の道はやや大きな道に合流して北に折れ曲がるが、ここも城内側が高くなっている為、堀跡だというのが判りやすい。


三の丸稲荷口
山形テルサ付近に出ると開発のため塁線がハッキリわからなくなるが、大きな車道のところで西に折れているはずで、そのまま西に行くと画像の稲荷口跡にたどり着く。


壽稲荷神社
稲荷口は「壽稲荷神社」が付近にあったことが名前の由来で、最上義光の時代は城外の稲荷塚にあったが、鳥居忠政の時代に現在地に移された。この神社は江戸時代と同じ場所にあるそうなので、ある意味稲荷口の生き証人でもある。


三の丸外堀跡(双葉公園)
稲荷口の西側にある双葉公園は公園自体が外堀の跡で、公園になる前までは水堀が残っていたそうである。画像右側の高くなっている方が城内で、左側が城外。


本丸跡北部と二の丸跡を跨いで建っていた野球場
なお霞城公園では球場の解体が行われており、ついに本丸跡北部の整備もスタートしそうであった。あと二の丸跡北東部の土塁上の発掘調査はまだ行われており、屏風折れ土塀跡は今回も見れなかった。

2018年8月4日土曜日

7月の3連休の南奥州の旅:多賀城(宮城県多賀城市)

2018年7月15日訪城。

お昼に「白石うーめん」を食べた後、白石から北上して仙台を素通りし、多賀城へと向かった。目的地は古代城柵にして陸奥国府である多賀城跡である。


東北歴史博物館
目的地は多賀城跡だが、すぐ側の東北歴史博物館にも十数年ぶりに立ち寄った。ここは文字通り東北地方の古代から近代までの歴史を扱った博物館だが、その一角に多賀城跡の専門展示があるため、寄っておいて損は無かった。


多賀城廃寺
せっかくなので博物館の近くの多賀城廃寺にも立ち寄った。ここは多賀城に付属して建てられた寺院の跡で、東北地方に築かれた古代城柵にはだいたい寺院が付属している。この辺りは昔来た時と変わっていなかったが、改めて訪れてみるとなかなか趣があって良かった。


南北大路
今回多賀城を訪れて一番見たかったのがこの復元された南北大路で、多賀城外郭南門からまっすぐ南に伸びるメインストリートである。画面奥に見えるのが外郭南門跡のある丘だが、残念ながらそこまでは復元されておらず、途中の車道のところでフェンスに遮られて終わっている。是非とも将来的には南門跡まで伸ばして欲しいものである。


外郭南門
多賀城の外郭には東西と南に城門があり、南門が近世でいうところの大手門にあたる。古代城柵の構造上、この城門が城下から見て一番目立つ建物でありシンボルでもある、ということでこの城門を復元する市の計画が30年前からあり、復元を目指す市民団体も活動しているのだが、資金の問題などで頓挫している。


内郭へ続く大路(萩大路)
外郭南門から内郭へも真っ直ぐ大路が伸びており、公式名称ではないが萩を植えてあることから萩大路とも呼ばれている。現状通れないこともないが、ちょっと草が伸びすぎている為、だいたいの観光客は隣の車道を通って内郭へ向かう。「道」は人が歩かないと自然に帰ってしまうというのが良くわかる光景である。


内郭政庁跡
内郭政庁跡もなんだか草原のようになっているが、ちゃんと建物跡の部分は平面復元されている為、散策すれば配置が良くわかる。


外郭築地塀跡
政庁から再び外郭に戻り、南門跡から東の方にある築地塀の一角を見に向かった。画像の土塁のようなものが築地塀が崩れて風化して出来たもので、前年の発掘調査でこの位置から櫓の柱跡が発見されたので見に来てみたのだが、現状では埋め戻されている為以前の光景と変わらず無駄足になった。


外郭菖蒲園の紫陽花
多賀城の外郭南東部には菖蒲園があり、時期が過ぎてしまっている為、菖蒲は散ってしまっていたが、代わりに紫陽花が満開の花を咲かせていて綺麗だった。

2018年7月28日土曜日

7月の3連休の南奥州の旅:白石城(宮城県白石市)

2018年7月15日訪城。

連休初日は白河に寄った後、宮城県の白石市まで北上し、翌日は「白石うーめん」の店が開店するまで白石城のあたりを散策した。

白石城遠景
朝方はやや曇っていた為、山の方にも霧がかかっているが、結局日中は晴天になったためこの日も熱かった。画像は泊まったホテルから見た白石城。


白石城の惣堀跡
今まで何度か白石には来ていたが、白石城の最も外側にあった惣堀跡は写真に残していなかったので、今回立ち寄ってみた。白石城の水堀は全て川から引いている為、水が常に循環しており、堀跡はそのまま今は水路となっていた。たまに小魚が泳いでおり、街中を流れているにしては綺麗である。


三の丸跡と堀の跡
白石城の三の丸は今は城下広場や駐車場などになっているが、そこの外側にも堀は当然あり、今は水路に変わって蓋が付けられて歩道になっている。画像の模擬城壁の向こうが三の丸跡で、手前の車道がかつての堀跡。


白石城天守下
そのまま厩口方面から城の中心部に向かったが、本丸はつい最近も来ていたので素通りして二の丸へと向かった。


白石城二の丸跡
二の丸跡は特に代わり映えしていないが、今までちゃんと見ていなかった気がするので、しっかり回ってみた。


二の丸跡の紫陽花
二の丸跡ではちょうど紫陽花が見ごろを迎えており、初夏の風情が出ていて良かったが、贅沢を言えばもうちょっと沢山花が付いていてほしかった。


常林寺
二の丸跡から沼の丸跡を通って一度城外に出た後、城のある丘よりも南の方にある丘にも向かった。この丘の麓に常林寺があり、何気にここにも城の「時の太鼓」が移されており、白石城の関係スポットだった。ただ、軽く立ち寄っただけでは「時の太鼓」が拝めるかどうかは判らなかった。背後の丘は中世の白石氏時代の白石城じゃないかという説もあったが、立ち寄った限りでは墓地や一部宅地でさっぱりそれらしきものは確認出来なかった。


八幡坂西陣場跡
常林寺裏の丘からさらに南の方にも切通を跨いで丘は続いており、そちらの方も旧白石城説があったが、現状は宅地開発で丘の上の団地になっており、それらしきものは確認出来なかった。画像はその丘の西側にあった空き地で、地図を見ると陣の跡ということになっていたが、調べた感じでは伊達政宗が白石城を包囲した時の包囲陣の一つだった場所のようだ。ちなみに政宗の本陣は白石川を跨いで北側の現在陣場と呼ばれる場所に置かれた。