2018年1月31日水曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:松本城(長野県松本市)

2018年1月8日訪城。

夜の長野から松本へ移動して一泊し、旅の最終日は松本城へと向かった。松本市街は雪も無く散策し易かったが、それでも天候が微妙なこともあって寒かった。松本城はなんだかんだ言ってけっこうな回数訪れているので、今回は少し今まで見ていない所を周ることにした。

黒門
松本城はやはり多くの観光客で賑わっていたが、本丸の入城ゲートとなる黒門は通れるものの何やら修理中のようだった。オフシーズンなので天守閣が混むことは無さそうだったが、今回は天守閣はパス。


トレンチ跡
二の丸の南西部に行くと何やらフェンスで囲まれた部分があったが、どうやらトレンチ調査をした部分らしい。今は無くなってしまった土塁を調べる為だったようだが、どうも松本城に学校が建てられていた頃の遺構が出てきたらしい。


通れない橋
そういや、松本城は昔は埋門にも本丸入城口があったが、現在は埋門は閉鎖されており、橋もごらんのとおり封鎖されている。元々、松本地震の被害が閉鎖の原因だったが、黒門の一か所に入口を限定したらメリットが大きかったため、現状こっちの入口の復活は無くなったようだ。


埋橋と天守閣
まぁ、橋が封鎖されているお陰で、お馴染みの橋を入れた構図で人が入らないように撮る苦労をする必要が無くなったが、一方で記念写真には難しい場所になったとも言える。


三の丸跡西側駐車場
二の丸跡西側からさらに西に出た砂利の駐車場は三の丸跡になるが、画像の真ん中より左側は惣堀の跡でもある。この場所だと堀と三の丸の境界が判りづらいが、画像とは反対の南側を見ると境界はよくわかった。


三の丸跡惣堀との境界
三の丸と惣堀との境界がちょうど水路になって残っており、こちら側はよく見ると画像右側の惣堀跡が低くなっているので分かりやすい。


三の丸西不明門馬出跡の説明板
今まで気づかなかったが、三の丸の馬出跡にもちゃんと説明板が設置されていた。画像は前述の砂利の駐車場の西側にあった西不明門馬出の説明板。


三の丸西不明門馬出跡
正直なところ馬出跡は遺構が残っておらず、画像の説明板のある辺りの馬出の外側の堀跡の地形が凹んでいるのが辛うじて判るくらい。


三の丸北不明門馬出跡
同様に三の丸跡北西部の北不明門馬出跡にも行ってみたが、こちらは馬出の外側の堀に向かって傾斜しているのが判る程度。


三の丸北門馬出跡
三の丸跡北東部の北門馬出跡は惣堀の一部が残っていることもあって、門と馬出の間の土橋の跡がよく判る。全体的に惣堀跡北側は地形が凹んでいるので非常に分かりやすい。


三の丸惣堀
三の丸は東側の惣堀だけが現存している。画像の右奥の庁舎の手前に石垣があるが、遠目でそこにも説明板が見えたので行ってみたが、庁舎の駐車場の奥にあるためまず見る人が居無さそうな隠れ説明板であった。


惣堀の石垣修理の説明板
説明板は石垣の修理に伴う調査記録が載っており、逆茂木のような杭が埋まっていたことと、土塁の法面が判明したのでアスファルトの地面に色を付けて示したことなどが書かれていた。


三の丸土塁跡
ちなみに庁舎の南側には三の丸土塁の跡が残っており、庭園の築山に再利用されている。画像は土塁の外側から見た光景だが、内側の方は庭園になっている。

惣堀跡を時計回りに散策している最中に雨が降り始めてしまったため、今回の旅はここでおしまいにして、後は昼飯を食べて我が家への帰途についた。

2018年1月27日土曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:善光寺(長野県長野市)

2018年1月7日参拝。

飯山で昼飯後に長野市へと移動したが、太陽は既に山に隠れてしまい、真っ暗になるのも時間の問題だったため、当初行きたかった場所はキャンセルして善光寺へと向かった。

善光寺
善光寺に来るのは前々回の御開帳の時ぶりだろうか、御開帳に比べれば人は少ないが、日没後の寺院とは思えないくらいの人で境内は賑わっていた。


門前町
門前町もかなり賑わっていたが、帰る頃には既に閉店準備をしている店も多かった。そんな中で「おやき」を買って帰ったが、やはりこの時期は暖かい食べ物に限る。

2018年1月22日月曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:飯山城(長野県飯山市)

2018年1月7日訪城。

久保田城の散策後、昼飯に稲庭うどんを食べてから羽越線を南下したが、山形県に入った頃には既に日が落ちてしまっていたため、結局どこにも立ち寄らず新潟市まで南下した。後から新発田あたりで泊っておくべきだったなと後悔したが、翌朝は長野県に入り飯山城に立ち寄った。

雪に埋もれる公衆トイレ
飯山市はそれまで立ち寄ってきたどこよりも雪が積もっており、住民の方も屋根の雪下ろしで忙しそうにしていたのが印象的だった。北飯山駅から飯山城へと向かったが、城跡の公園の公衆トイレが雪に埋まっていたのもなかなか印象的だった。


飯山城移築城門
飯山城に再移築された城門も雪囲いがしてあり、下の方は雪に埋もれていた。


城内
城内は1m以上の雪で埋まっており、本丸にある葵神社に向かう参道が辛うじて雪掻きした跡があるが、他はごらんのあり様で途方に暮れる。


本丸(葵神社)
とりあえず、本丸に登って葵神社に参拝するが、神社の足元には雪が無い為、今来た参道自体が既に嵩上げされた雪道だったことに恐怖する。


本丸枡形付近
せめて本丸桝形くらいは見ようとラッセルしてみるが、途中で我に帰って結局諦める。


妙専寺山門
飯山城は移築城門がいくつかあり、北飯山駅の裏の方の妙専寺の山門も移築城門と聞いて見に行ったが、付近に門について書かれた看板等は無く、本当にこの門で合っているかよく判らない。本当は長野市に移築された大手門も見に行きたかったが、現地に着くころには日は山に落ちているだろうから諦めた。

2018年1月21日日曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:久保田城(秋田県秋田市)

2018年1月6日訪城。

秋田城周辺の散策後、再び市街地中心部に戻り、秋田藩の藩庁である久保田城にも立ち寄った。久保田城は何度か訪れているが冬に来たのは1回くらいしか記憶にないので、今回でたぶん2回目である。

秋田県立美術館
久保田城の外堀の前を移動していると明らかに記憶と一致しない空間があった。中土橋前はたしか普通にビルが建っていたはずであるが、いつのまにか広場と秋田県立美術館になっていた。まぁ、これはこれで窮屈な感じが無くて良い。


与次郎くん
久保田城の築城伝説でおなじみの与次郎狐をモデルにしたキャラがこのあたりの町内のマスコットになっているようで、中土橋前の絶好の位置になんか銅像が建てられていた。


外堀
久保田城の幅の広い外堀も氷を張っていたが、そんなに寒くないため氷は薄い。秋田は豪雪のイメージがあるが、この日の秋田市内は雪があまり積もっていなかった。


中土橋前
城内から中土橋前を展望してみると、やはりなんかスッキリした風景になっていた。

二の丸
中土橋から三の丸を通って二の丸へ登るが、二の丸は一面の雪景色だったものの明らかに雪が少ない。これは気軽に雪だるまも作れないが、除雪したわけではなさそうだ。


御物頭御番所
本丸表門前にある城内唯一の現存建造物の御番所もすっかり雪囲いしており、ぱっと見何の建物か判らなくなっているのが面白い。


長坂門跡と本丸表門
本丸表門は落雪の危険性から冬季通行止めだが、明らかに屋根に雪が無いのが可笑しい。表門は通れないが、手前の長坂門跡から迂回路があり、ちょうど画像の左画面外に道がある。


本丸
本丸内部も靴が沈む程度の積雪しかないため、散策には困らなかったが、奥の模擬櫓の展望台は冬季は閉鎖されているため、散歩中の地元の方と神社に用事がある人にしか城内では出会わなかった。久保田城は別に藪に覆われているわけでもないので、県外の人間が冬季にあえて訪れる理由はあまり無さそうだということを再認識した。

2018年1月18日木曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:勅使館(秋田県秋田市)

2018年1月6日訪城。

秋田城の散策後、以前藪で諦めていた秋田城の近くの勅使館跡へも立ち寄った。勅使館は都からの勅使をもてなした館とされていてこの呼び名が付いたが、実際に調査が行われてからは中世に築かれた城館という見方が強くなっている。秋田城本体は中世にはほぼ使用されていないため、文献に出てくる中世の秋田城はここの場所のことではないかとする説があるが、現状はまだ謎の城館である。

勅使館への入口
以前来た時は場所があやふやで藪しか見えなかったので諦めたが、秋田城跡資料館に勅使館の展示もあったため、それに照らし合わせて訪れてみることにした。寺内コミュニティセンター脇の坂に「勅使館入口」の標柱があるが、実際の入口は坂を登ってもっと進んだ先で、画像の緑の「史跡」標柱が立っている場所になる。


横堀
勅使館の中心部に登る直前に横堀を横切るが、この横堀は主郭の周囲に半月状に展開している。丘陵の斜面に横堀というのは古代城柵では見たことが無いので、やはり中世に造られた城跡だというのが良くわかる。


登り土塁
主郭から北側の低地に向かって登り土塁が設けられていたが、どうゆう用途があったのかよくわからない。


主郭
丘の頂上の主郭はそこそこ広く、周囲半分が2~4mの高さの土塁で囲まれていたのだが、秋田城がある方向の北東部分だけが土塁が無い為、これはこれで秋田城の出城のようにも見えるので判断に困る。北東部分の下段は畑のようになっているため、開墾で北東部分が削り取られたとも考えられるし、何にせよ更なる調査と解明が待たれる。

2018年1月15日月曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:秋田城(秋田県秋田市)

2018年1月6日訪城。

5日のうちに山形県から奥羽本線ルートで秋田県入りし、6日は朝から秋田市の秋田城へと向かった。秋田城は久しぶりに訪れるが、今回は新しくできたという歴史資料館が目当てで訪れた。

秋田城跡歴史資料館
歴史資料館前バス停から階段を登った先の丘の上に真新しい秋田城の歴史資料館があり、内部はもちろん秋田城のあった時代背景の歴史から発掘調査で見つかった物、それらから判った事など、色々展示されていて勉強になった。


外郭築地塀跡
資料館から出た後は外郭西側の築地塀跡を見に行ったが、これが思いのほかよく残っており、外郭の輪郭がちゃんと判るのには驚いた。というのも、今まで外郭は東門付近しか見ておらず、他は遺構は残っていないと思い込んでいたからである。ちなみに画像右奥の丘の上に外郭西門の跡があることが判明したらしいが、遠目ではまだ整備されていないようなのでそこまでは行っていない。


消失した丘
画像の手前が資料館のある丘で、奥は政庁がある丘になるが、本来はこの丘の間は陸続きになっており、車道を通した際に谷間状に削り取られてしまったようである。しかも運の悪いことに、これによって内郭の南西部分も地盤ごと消滅してしまい永遠の闇に消えてしまった。


歴史資料館前バス停から政庁跡へ登るルート
なお、歴史資料館前バス停付近から直接政庁のある場所に登る道が新しく出来ており、これのお陰で散策がし易くなっていたのは良かった。以前来た時はこの辺りには住宅があった記憶があるので、市が買い取って整備したのだろうか。


政庁跡
内郭の政庁跡は雪に埋もれているものの、以前同様に平面復元の柱が見える為、特に昔来た時と変わったような感じは無かった。


内郭東門
内郭に唯一立体復元されている東門と築地塀も以前同様に変わりはなかったが、雪囲いの保護が付けられているのが印象的だった。


外郭東門
内郭東門から外に出て真っ直ぐ進むと外郭東門にたどり着くが、何気にこの真っ直ぐ大路で内郭の門から外郭の門まで繋がっているのが古代城柵という感じで良い。ただ、資料館の発掘情報によれば真っ直ぐ繋がっているのは東門だけで、南門は大路が斜めに傾いており、西門に至っては大路は鍵の時に折れ曲がっている。北に関しては門があったのかどうかすらまだ判っていない。


外郭南門跡
外郭西門跡は先に述べた通り現地まで行くのはパスしたが、外郭南門跡はマップによれば車道から確認出来る位置にあった為、一応確認しに向かった。画像がその外郭南門跡で、住宅地の中の畑?と思われる場所に位置している。ぱっと見では本当に門跡があったのか判らないが、発掘調査をやっているので地中に痕跡はあるのだろう。

2018年1月14日日曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:山形城(山形県山形市)

2018年1月5日訪城。

仙台城の散策後、仙山線に乗って奥羽山脈を越えて山形へと移動したが、やはり山脈を境にして雪の量が全然違っており、山形は仙台の何倍も雪があった。山形駅に到着した頃にはすっかり日が沈んでしまっていたが、山形城なら灯りがあるから平気だろうと思い立ち寄ることにした。

二の丸東大手門
冬でも山形城は人の出入りが多いため、人が歩いて踏み固められた道を進むが、やはり雪があると移動に1.5倍ほど疲れる。二の丸東大手門はいつも通りライトアップされていたが、屋根の瓦が雪に覆われていて何だかいつもよりも白い。


最上義光像
最上義光像も微妙に雪をかぶっていたが、これはこれで雪原を駆けているようで面白い。


本丸一文字門
本丸一文字門を見ると高麗門が開いていたので、まだ入れるのか?と思ったが、橋の手前のゲートが閉門していて中には入れないようになっていた。高麗門に扉は付いているが、どうやら基本的に開けっ放しのようだ。

発掘現場の方は冬の夜に行っても意味が無いので、ライトアップを見た後は南大手門から出て駅に戻った。なお、山形城には南大手門から出入りする方が雪が少なくて移動し易かったと思う。

2018年1月13日土曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:仙台城(宮城県仙台市)

2018年1月5日訪城。

午前中に白石城を周って昼食には白石温麺を食べ、その後は東北本線を仙台まで北上し、仙台地下鉄の東西線で仙台城へと向かった。やはり渋滞や信号に止められるバスと違って、城の麓までなら地下鉄のほうが早いので、昔仙台に住んでいた頃より便利になったとつくづく思う。

大手門隅櫓
国際センター駅から出て南に行くとすぐに大手門跡が見えるが、前回来た時に画面右側の土塀でやっていた工事は終わったようだが、さらに右側画面外の二の丸法面ではまだ何か修復をしているのか一部にブルーシートが掛けられていた。


川内追廻
三の丸から堀を挟んで外側にある川内追廻地区は以前よりもさらに更地になっていたが、看板によれば公園として整備工事中らしい。ここは江戸時代には先に寄った白石城の片倉家の武家屋敷などがあった場所で、発掘調査も何度かやったようだが、公園計画を見る限りでは発掘遺構の上に盛り土をして保護した上でセンター施設を建てるようである。


五色沼
三の丸外堀の五色沼でも何やら修繕工事中の看板が建っており、重機の足場を確保するためか沼の半分ほどが埋め立てられていた。


雪化粧の本丸石垣
三の丸から清水門ルートで本丸へと登るが、雪の無かった白石と違って仙台ではそこそこ雪が積もったりアイスバーンになっていたりしたので、普段より登るのに余計疲れた感じがした。ただ、城の雪化粧を見るのも目的だったので、画像のような光景が見れたのは幸いだった。


修復された忠魂碑の像
本丸は正月松の内のため神社を訪れる仙台市民で賑わっていたが、政宗像付近には観光客らしき姿もチラホラ見かけた。以前来た時は震災で大破したままの状態だった忠魂碑の鳥の像だが、どうやら修復されたようで台座の足元に飾られていた。ここにあるということは危険だから台座の上には戻さないということなのだろう。

2018年1月12日金曜日

東日本行き当たりばったり新年初旅行:白石城(宮城県白石市)

2018年1月5日訪城。

前日に水戸城の復元工事現場を散策した後、水郡線ルートで福島県へと入ったが、棚倉付近に着いた頃には既に真っ暗になっていたため、最近多門櫓跡の礎石が確認された棚倉城へ立ち寄る計画は断念。冬場は16時には既に真っ暗になってしまうため、移動しながらの旅には辛いことを思い知らされた。

結局、福島に一泊し、翌朝は宮城県へ入って白石城へと向かった。両手で数えるくらい訪れている白石城ではあるが、今回は城に植えられた桜が開花している情報を聞いたので立ち寄った。

白石城大櫓
福島方面では雪がそこそこ積もっていたのだが、峠を越えて宮城県側に入った途端に雪は無くなり、画像のように日陰になった部分に残るのみだった。


本丸大手門の門松
本丸の大手門前には門松があり、正月松の内ならではの風景が見られるのも面白い。


神明社の門松
ちなみに城内にある神明社にも門松が飾られていた。せっかくなのでお参りもしてきたが、何やら正月関係なのか忙しそうに人が出入りしていた。


十月桜
肝心の今回の目当ての桜についてだが、本丸の中央大手門寄り辺りに一本だけ若い木が植えられており、十月桜という冬に咲く品種とのことだった。この桜は梅のように花が小さく、咲いている花は疎らで、蕾と散った花も混在していてかなり写真泣かせの桜だった。結構沢山撮ったが結局満足のいくものは撮れなかった。


本丸の新しいトイレ
十月桜とは別に今回驚いたのは本丸に新しいトイレが出来ていたことで、よく城址にあるような和風家屋デザインのトイレじゃないことが意外だった。


本丸の2つの時代の石垣
他に今回目に付いたのは本丸の石垣の説明板が出来ていたことで、画像の箇所の石垣が右側と左側で違うことの説明が書かれていた。見ての通り、左が打ち込み接ぎ、右が切り込み接ぎで、元はどっちも打ち込み接ぎだったが、江戸時代に石垣が崩れた後に修復された箇所が切り込み接ぎになった。なお、説明板には左が野面積みと書かれていたが、外側を平面に加工した石を使っている為、これは打ち込み接ぎだろう。