2018年1月6日訪城。
秋田城の散策後、以前藪で諦めていた秋田城の近くの勅使館跡へも立ち寄った。勅使館は都からの勅使をもてなした館とされていてこの呼び名が付いたが、実際に調査が行われてからは中世に築かれた城館という見方が強くなっている。秋田城本体は中世にはほぼ使用されていないため、文献に出てくる中世の秋田城はここの場所のことではないかとする説があるが、現状はまだ謎の城館である。
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勅使館への入口 |
以前来た時は場所があやふやで藪しか見えなかったので諦めたが、秋田城跡資料館に勅使館の展示もあったため、それに照らし合わせて訪れてみることにした。寺内コミュニティセンター脇の坂に「勅使館入口」の標柱があるが、実際の入口は坂を登ってもっと進んだ先で、画像の緑の「史跡」標柱が立っている場所になる。
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横堀 |
勅使館の中心部に登る直前に横堀を横切るが、この横堀は主郭の周囲に半月状に展開している。丘陵の斜面に横堀というのは古代城柵では見たことが無いので、やはり中世に造られた城跡だというのが良くわかる。
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登り土塁 |
主郭から北側の低地に向かって登り土塁が設けられていたが、どうゆう用途があったのかよくわからない。
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主郭 |
丘の頂上の主郭はそこそこ広く、周囲半分が2~4mの高さの土塁で囲まれていたのだが、秋田城がある方向の北東部分だけが土塁が無い為、これはこれで秋田城の出城のようにも見えるので判断に困る。北東部分の下段は畑のようになっているため、開墾で北東部分が削り取られたとも考えられるし、何にせよ更なる調査と解明が待たれる。