2021年5月30日日曜日

九州の西半分ついで旅:出島(長崎県長崎市)

 2020年8月5日訪問。

長崎奉行所・西役所跡のある丘陵端から先の低地には、学校の教科書にも載っているあの有名な出島の跡がある。出島は江戸時代に造られた人工島で、内部にはオランダ商館が置かれていた。現在は周辺が埋め立てられてしまった為、島ではなくなっている。


対岸から見た出島跡
画像の左に見えるのが出島跡だが、今は周辺が埋め立てられてしまった為、島と陸地の間にあった海は川(中島川)に変わってしまっている。ただ、どうやら川になった時に島側が大分削られてしまったようで、画像に見える川幅よりも本来はもっと狭かったらしい。


出島跡に架かる表門橋
かつては陸地と出島は一本の橋だけで繋がっていたが、周辺が埋め立てられた後は橋も撤去されてしまっていたが、2017年に130年ぶりに画像の橋が復元された。厳密には絵図の橋とは違う上に前述の通り島側が削られているため橋が長くなっており、復元というより復興だろうか。


出島内部
出島の内部には和洋折衷の建物が復元されており、1820年から幕末までの間の建物が複合的に復元されているため、絵図とは微妙に違っていたりするが、それでも歴史情緒を感じさせる光景である。なお、画像の左は1820年頃の建物だが、右の石倉は幕末の建物である。


建物の二階から見た景色
復元された建物の大部分が内部も見学できるようになっており、一つ前の画像の左の建物は二階に登ることもできた。この画像はそこから通りを見た様子である。


出島の復元建物
画像右の蔵は十四番蔵と呼ばれており、当時は貿易用の蔵が品目ごとに複数あったようだ。中央奥は詰所で、出島の門番の住居である。左奥の洋館は復元ではなく明治時代に建てられた社交クラブの建物らしい。なお、建物の中は基本的にどれも資料館のような感じだが、一部は売店になっていたりしていた。


出島のジオラマ
出島跡の東の方に行くと庭園になっている場所にジオラマが設置してあった。当時の絵図を元にして造られた精巧なジオラマで、これを見ると現在と大分違うのがよくわかる。


キャピタン橋の葡萄棚
当時の出島では葡萄が栽培されていたらしく、それにちなんで庭園の一角に葡萄棚が置かれており、ちょうど葡萄がたわわに実っていた。この葡萄の実は収穫するのだろうか?


出島水門
変わって出島跡の西の方に行くと端に門が復元されている。この門の外は当時は波止場だった場所で、オランダ船からはこの門を通って荷揚げしていたのである。現在は門の外は車道でその向こうも埋め立て地になって建物が立ち並び、海は全く見えないため波止場だったと言われても信じがたい光景になっている。


出島跡と外海との境界
出島跡からいったん外に出て南側を散策してみると、出島と外海との境界部分が微妙に水路状になって残っていた。画像の左が出島の壁で、右は江戸時代には海だった場所である。微妙に磯臭くフナ虫も居たので海と繋がっているようだ。将来的には周囲を水場に囲まれた島を復元したいらしいので今から楽しみである。