2016年9月22日木曜日

屋嶋城 (香川県高松市)

2016年9月22日訪城。シルバーウィークを利用して四国を訪れたが、生憎の天気での散策となった。

まず向かった屋嶋城は、663年の白村江の戦いの敗北で危機を感じた中大兄皇子によって667年に急遽築かれた城郭の1つで、平安時代には源平合戦の舞台にもなった。


屋島城の城門跡
屋島城跡の修復された石積は見事で、特に門のあった高さまで梯子かなにかで登らなきゃいけないというのは、なかなか衝撃だった。ただ、平時に出入りする城じゃないなら十分に理にかなっている。


仁王門から見た屋島寺の参道
屋島城跡には現在は屋島寺が建っており、画像は寺の仁王門から四天門を見た風景。生憎の空模様でも観光客やお遍路さんが訪れており、本堂の周辺はずっと経をあげている人々が何人も居た。


獅子の霊巌からの景色
数メートル先が見えない中の散策は難儀したが、特に絶景が拝めないのが痛かった。あと、南嶺の東側の山道で猪2匹と遭遇し、驚いて逃げ帰ったロスも痛かった。視界がきかない状態で猪に合うのは本当怖い。

2016年9月10日土曜日

湯長谷陣屋 (福島県いわき市)

2016年9月4日訪城。

「湯長谷」というワードで最近ヒットするのが「超高速参勤交代」という時代劇コメディで、自分もDVDを借りて見たことがある。参勤交代を題材にした意外性と超高速というタイトルのインパクトに惹かれて見てしまったが、内容もけっこう面白かった。磐城平城でやってたBeer博でも夕方に「超高速参勤交代」の上映会をやっていたが、どうやらその続編の「超高速参勤交代リターンズ」が9月10日に公開されるということを、いわき市に来て知ったのだった。

ということで、磐城平城を訪れた翌日に向かったのが湯長谷陣屋跡で、今回が2度目の訪城になる。湯長谷陣屋は平藩の支藩である湯長谷藩の藩庁で、1676年に遠山政亮(内藤政亮)によって築かれた。湯長谷藩は親藩の平藩が取り潰されても幕末まで続き、廃藩置県で廃城となった。


岩崎中学校の中にある城址碑
陣屋跡は湯長谷の東西に延びた山の上にあり、現在は敷地の半分が岩崎中学校となっている。以前は画像の学校内にある城址碑しか城のあったことを伝える説明が無かったが、今回は表門跡の外側付近に城の説明と見取り図の書かれた情報板が設置されており、特に見取り図は大変有り難かった。


現存する土塁と堀
今は半分が学校の敷地になっているものの、土塁と堀がよく残っており、当時の絵図を元にした見取り図通りの縄張りがハッキリ確認できる。


陣屋裏門跡(画面中央あたり)
見取り図を見てわかったことだが、当時の道に沿って現在の車道が通っており、表門跡から陣屋跡に入った車道はそのまま裏門跡から外に出ていた。現在のトントン沢の位置と照らし合わせると、画像中央あたりが裏門跡で、つまり中学校の校舎は陣屋の外の御茶園跡にある。


堀切
陣屋のある山の上の西と東にはかつて武家屋敷があり、東の武家屋敷の跡の中心には山を横断する大きな堀切が築かれている。ここを境に西は家老屋敷、東は一般の藩士の屋敷になっていたようだ。


武家屋敷跡
当時の建物は残っていないが、陣屋東の武家屋敷跡の大平桜酒造付近の風景はなかなか趣があってなんとなく城下らしさがあった。なお、陣屋西の武家屋敷跡らへんにも行ってみたが、そちらは完全に現代の住宅地だった。

2016年9月5日月曜日

磐城平城 (福島県いわき市)

2016年9月3日訪城。

磐城平城の本丸跡でbeer博なるイベントをやっていると聞いて週末いわき市まで行ってきた。磐城平城自体は何度か訪れているが、今回は本丸跡の以前入れなかった部分に入れるとあって特別な訪城となった。

Beer博で賑わう本丸跡
Beer博は地ビールとか創作ビールと呼ばれる類いのものを集めた有料イベントで、東北産が多かったが遠く岡山のビール等もあった。色々飲んで真昼間から酔ってしまったが、画像でもわかる通りテーブルの場所には日陰が無いのが辛かった。なお、昼前はテーブルに空きがあるほどだったが、夕方には大勢の人でごった返していた。


八棟櫓跡

本丸跡の八棟櫓跡には鉄骨の展望台が建てられており、先の本丸内の様子もここから撮ったものである。ここからは城下のいわき市街が見渡せるため、なかなかのビュースポットだった。


仮藩庁
本丸跡には明治維新後に建てられた仮藩庁が残っており、民家に使用されていたため改変されているが、それでも昔の御殿のような面影がよく残っていた。なお、内部には手作りの磐城平城の模型が展示されていた。

白蛇堀

今回本丸跡に入れたおかげで新たに沢山の遺構を見ることができたが、内堀の白蛇掘を間近で見られたことと弓櫓跡付近にも入れたこと。それと、この辺りの土塁がほぼ現存しているのがわかったのは大きな収穫だった。


3.11で崩れた中門跡の石垣
なお、いつも訪れている丹後沢方面には新しい標柱がある他は以前来た時とほぼ変わり無かった。なので崩れた中の門の石垣も画像の通りそのままであった。