2016年9月10日土曜日

湯長谷陣屋 (福島県いわき市)

2016年9月4日訪城。

「湯長谷」というワードで最近ヒットするのが「超高速参勤交代」という時代劇コメディで、自分もDVDを借りて見たことがある。参勤交代を題材にした意外性と超高速というタイトルのインパクトに惹かれて見てしまったが、内容もけっこう面白かった。磐城平城でやってたBeer博でも夕方に「超高速参勤交代」の上映会をやっていたが、どうやらその続編の「超高速参勤交代リターンズ」が9月10日に公開されるということを、いわき市に来て知ったのだった。

ということで、磐城平城を訪れた翌日に向かったのが湯長谷陣屋跡で、今回が2度目の訪城になる。湯長谷陣屋は平藩の支藩である湯長谷藩の藩庁で、1676年に遠山政亮(内藤政亮)によって築かれた。湯長谷藩は親藩の平藩が取り潰されても幕末まで続き、廃藩置県で廃城となった。


岩崎中学校の中にある城址碑
陣屋跡は湯長谷の東西に延びた山の上にあり、現在は敷地の半分が岩崎中学校となっている。以前は画像の学校内にある城址碑しか城のあったことを伝える説明が無かったが、今回は表門跡の外側付近に城の説明と見取り図の書かれた情報板が設置されており、特に見取り図は大変有り難かった。


現存する土塁と堀
今は半分が学校の敷地になっているものの、土塁と堀がよく残っており、当時の絵図を元にした見取り図通りの縄張りがハッキリ確認できる。


陣屋裏門跡(画面中央あたり)
見取り図を見てわかったことだが、当時の道に沿って現在の車道が通っており、表門跡から陣屋跡に入った車道はそのまま裏門跡から外に出ていた。現在のトントン沢の位置と照らし合わせると、画像中央あたりが裏門跡で、つまり中学校の校舎は陣屋の外の御茶園跡にある。


堀切
陣屋のある山の上の西と東にはかつて武家屋敷があり、東の武家屋敷の跡の中心には山を横断する大きな堀切が築かれている。ここを境に西は家老屋敷、東は一般の藩士の屋敷になっていたようだ。


武家屋敷跡
当時の建物は残っていないが、陣屋東の武家屋敷跡の大平桜酒造付近の風景はなかなか趣があってなんとなく城下らしさがあった。なお、陣屋西の武家屋敷跡らへんにも行ってみたが、そちらは完全に現代の住宅地だった。