2021年2月23日火曜日

九州の西半分ついで旅:唐津城・その2(佐賀県唐津市)

 2020年8月4日訪城。

その1からの続き。

二ノ門堀
三の丸と二の丸の間には「二ノ門堀」の水堀が残っており、唐津城ができる前はここには松浦川が流れていたという。築城時に川は東に付け替えられて旧川筋はそのまま水堀として利用された。


二の丸北の門跡
二ノ門堀の北側を越えて一旦二の丸に入り北の門跡を確認するが、門跡としての遺構は残っておらず、門の方へ折れて入る道が車道になっているのと、門の外側の二の丸石垣が残っているくらいだった。


時の太鼓櫓
二の丸には北の門ではなく正門である二の門跡から入る為、一旦三の丸へと戻って二の門方面へと向かう。二の門跡の正面に公園があり、ここには時の太鼓櫓が復元されている。古い絵図では時鍾堂になっているので、当初は鐘で時間を告げていたようだが、後に時太鼓堂とも書かれているので、時代によって鐘だったり太鼓だったりしたようだ。なお、復元された櫓には時計が脇に付いている為、なんだか時計台のようになっている。


二ノ門跡
三の丸から水堀に架かる橋を渡った先に二ノ門跡があるものの、こちらは門の原型が判らないほど遺構の痕跡が無い。城の絵図と見比べた感じでは画像の石垣の土橋のように見える橋は本来は存在しておらず、車道を斜めにつなげる為に後から造られたもののようだ。南側にある堀に対して直角になっている分離道の方が本来の橋の位置だろう。なお、絵図から推測する限りでは画像の民宿海舟の位置に城門があったと思われる。


二の丸から見た本丸
二の丸跡内部も基本的に市街地化しているが、早稲田佐賀付属の中高のグラウンドも二の丸跡にあり、校舎の方は一段高くなった旧二の丸御殿跡に建っている。そして校舎の背後に聳える山の上が本丸で、そこに建つ天守閣が麓から良く見える。


月見櫓跡
二の丸跡を東西に通っている車道は学校付近でカーブを描いて緩やかに曲っており、画像のように二の丸上段の隅櫓である月見櫓跡の石垣をかすめて奥に続いている。位置的には画像の右奥に見える建物のあたりに御舟入門があったようだが、舟入も含めて住宅地になっていて残っていない。


舟入門公園
画像は恐らく絵図に見られる舟入の西側の突端部を公園としたものだと思われるが、サイズがかみ合わないので公園の東側(画像右側)は舟入を埋め立てているものと思われる。


下曲輪南西隅の櫓台
舟入の出口だった場所には下曲輪の南西隅の櫓台があるが、面白いことに今は城内橋の橋台になっている。城内橋の先は江戸時代には湾内の海だった場所だが今は埋め立て地になっており、陸地が近くなったことで新たに歩道となる橋が架けられたようだ。


下曲輪南東隅の櫓跡
同じ下曲輪の南東部の櫓跡にはたぶん休憩所?と思われる模擬櫓があり、たぶん南側の対岸から見た時の景観を考えて造られたものと思われる。


腰曲輪跡
山の麓の東側は下曲輪より一段高くなっており、この辺りは腰曲輪と呼ばれている。この付近は石垣が良く残っており、絵図にも見られる涼所櫓を意識したと思われる模擬櫓(画像奥)も建っていた。なお、この時は腰曲輪の奥の方は工事のために途中で閉鎖されていた。