2018年8月5日日曜日

7月の3連休の南奥州の旅:山形城(山形県山形市)

2018年7月16日訪城。

多賀城散策後、「冷やしラーメン」を食べる為に宮城県から山形県に移動し、山形市の栄屋でラーメンを食べて15日は終了した。翌日は山形城三の丸の吹張口から稲荷口まで外堀沿いで見落としている遺構があった為、その部分を散策した。


三の丸吹張口
山形城の三の丸には11箇所の城門があったが、一番南側にあったのが吹張口で、画像の箇所がその吹張口跡を外側から見た光景になる。車道はほぼ当時の道をなぞっている為、右側で微妙に折れているのが判る。画面左の低くなっている部分が三の丸の外堀跡で、中央の黒い碑はこの「濠跡」の碑である。今まで見落としていたが、この吹張口から稲荷口にかけての一帯が、三の丸の塁線の名残を良く残しているのが今回の散策で判った。


三の丸外堀跡の石垣?
さきほどの吹張口から濠跡の方に降りて堀底を進むと左手に石垣が見えてくる。一見すると堀の遺構のようにも見えるが、山形城の外堀は城門の周囲以外には石垣を使っていない為、これは現代に造られたこの上に建っている店のための石垣だろう。


三の丸土塁
道となっている堀底を進むとやがて山形のパンフレットにも載っている三の丸土塁の一部が見えてくる。この部分だけは過去にも確認している。


三の丸外堀跡
さらに堀跡に沿って西に進むと鉄道の下を潜ることになるが、ここはちょうど堀の凹みをうまく利用して通路にしている。


三の丸外堀跡
堀跡の道はやや大きな道に合流して北に折れ曲がるが、ここも城内側が高くなっている為、堀跡だというのが判りやすい。


三の丸稲荷口
山形テルサ付近に出ると開発のため塁線がハッキリわからなくなるが、大きな車道のところで西に折れているはずで、そのまま西に行くと画像の稲荷口跡にたどり着く。


壽稲荷神社
稲荷口は「壽稲荷神社」が付近にあったことが名前の由来で、最上義光の時代は城外の稲荷塚にあったが、鳥居忠政の時代に現在地に移された。この神社は江戸時代と同じ場所にあるそうなので、ある意味稲荷口の生き証人でもある。


三の丸外堀跡(双葉公園)
稲荷口の西側にある双葉公園は公園自体が外堀の跡で、公園になる前までは水堀が残っていたそうである。画像右側の高くなっている方が城内で、左側が城外。


本丸跡北部と二の丸跡を跨いで建っていた野球場
なお霞城公園では球場の解体が行われており、ついに本丸跡北部の整備もスタートしそうであった。あと二の丸跡北東部の土塁上の発掘調査はまだ行われており、屏風折れ土塀跡は今回も見れなかった。