2019年4月21日訪城。
喜多方市の中心部は、江戸時代には田付川を境にして西が小荒井、東が小田付と呼ばれる町だった。小田付は米沢街道の宿場町でもあり、中世には蘆名四宿老の1人である佐瀬種常が治める城下町でもあった。喜多方の枝垂桜を見に来たこの日、その佐瀬種常の居館跡にも立ち寄ってみた。
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御蔵稲荷神社 |
佐瀬種常の館跡は江戸時代には代官所として再利用されていたらしく、その所在地は今の御蔵稲荷神社付近だと伝わっている。ただ、周囲は宅地(一部は畑)になっており、散策してみた限りでは、館跡の遺構はさっぱり見当たらなかった。
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代官所跡の石碑 |
館跡の城址碑や標柱は残念ながら無いが、代官所跡の石碑は神社の境内に立っている。また、代官所の説明板もあるが、その中で佐瀬種常の館のことにも触れている。