2019年4月28日訪城。
八森城のすぐ南西部の山の上に西の館があり、城館の詳しい歴史は不明だが幕末の戊辰戦争の時にここが庄内藩兵に占領され、寿慶寺を防衛拠点とした矢島藩兵との間で激しい戦いになった。結果的に寿慶寺の矢島藩兵は敗れて城内に後退し、寺社はこの時に焼け落ちたという。
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諏訪神社 |
現在、西の館跡には諏訪神社が鎮座しており、神社の周囲には土塁が残っている。神社のある曲輪と背後の山との間には一段低くなった平場があり、ここには土塁は見られないが一応関連する曲輪だと思われる。
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西の館跡からの眺め |
結構高い位置にあるため、矢島の町が眼下に見渡せるほど眺めは素晴らしかった。なお、画像中央奥に見えるのが八森城で、ここを占領されると城内の様子が見えてしまってヤバそうである。
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神社の下の曲輪 |
神社のある曲輪から下を見たらそこにも程よい広さの曲輪があった。ここに登ってくる途中の山道から横に移動すれば行けそうであるが、確認していない。
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堀切 |
神社のある曲輪の手前の曲輪とその背後の山との間に一応堀切が設けられていた。ここより山側には堀切は無く、急斜面の下にやや広い曲輪があるのみとなっている。
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山側の曲輪 |
山側の曲輪は針葉樹林帯で、東の斜面にかけて雛壇状に平場が展開しているが、植林地系でもあるため、どこまでが西の館の範囲なのかよく判らない。ただ、帰ってから城郭大系を見直したら標高150mの山頂部が西の館とあった為、画像の左に見える急斜面を登った上が主郭跡かもしれない。