2019年1月26日土曜日

10月の松本・黒部への旅:松本城(長野県松本市)

2018年10月27日訪城。

10月の終わりに念願だった黒部ダムへ向かう前日、途中の松本に立ち寄って紅葉する松本城を見て回った。

ススキと松本城天守閣
松本城は相変わらず大勢の観光客で賑わっていたが、いつもとちょっと違う秋らしい景色も見られてなかなか楽しめた。


二の丸の紅葉
本丸のカエデやケヤキも紅葉して綺麗だったが、二の丸のケヤキ?なんかも画像の通り見事に紅葉して綺麗だった。


三の丸跡発掘調査現場
松本城公園から出るとそこは三の丸跡だが、今はほぼ市街地と化しており、所々では発掘調査と都市再整備事業をやっているようだった。そういえば松本城の二の丸を囲む水堀のうち埋まってしまっている南西側を復元する計画があったが、掘ってみたら地中から有害物質が出てきて中止になったらしい。結局埋め戻したというが、埋め戻したらそれはそれで問題を棚上げしただけのような気がする…。


四柱神社の紅葉
三の丸の南の方にかつては大手門があり、その付近に今ある四柱神社の境内も紅葉で綺麗だった。この神社の境内の地下にはかつての惣堀が埋まっており、神社の目の前は縄手という細長い曲輪だったが、今は城下町的雰囲気の小さな商店街になっている。


大手門跡広場
神社の隣にある大手門跡広場は各種イベントスペースとして利用されているが、大手門跡の遺構が埋まっているのは画像の左側になる。ちなみに右半分の地下に埋まっているのは惣堀である。

2019年1月20日日曜日

9月の3連休の旅:一戸城(岩手県一戸町)

2018年9月24日訪城。

九戸城の散策後、二戸駅前の通りで見かけたラーメン屋で昼飯を食べ、その後に二戸市の隣の一戸町へと向かった。目的地は一戸南部氏の居城だった一戸城である。

北館跡(一戸公園)
とりあえず城址北端にある北館の曲輪にまず向かったが、ここは今は水道タンクと公園になっているものの内部は草が茂って藪化しかけていた。城跡は町の東の段丘の上にあるため、街を見下ろすことができるはずだが草木のせいで眺望はまったくダメだった。


標柱
北館内部で藪を漕いでも見つからないと思ったら、城址の標柱は曲輪より一段低い帯曲輪の場所にあった。


三神社
この帯曲輪には「三神社」という神社があったが、横に立っている旗は秋葉山神社だった為、三社合祀神社のことかもしれない。


虎口跡?
この神社のある個所の帯曲輪から北館の内部に登る箇所があるため、ここが本来の虎口かもしれない。


北館の堀切跡
北館の東は山に続いている為、堀切で切られていたらしいが、堀切があった場所は今は国道が通っているため消滅している。


八幡館の堀切
北館から沢を挟んで南側に最も大きな曲輪の八幡館があり、この八幡館の堀切は画像の通りよく残っていた。この画像右側の上が八幡館の曲輪になるが、堀切についている階段から登ると民家の玄関前に出る。内部は今は民家と畑だったので写真には撮っていない。


神明社
八幡館から沢を挟んで南には主郭とされる神明館の曲輪があり、この内部は数段に別れていて主に畑になっていた。この神明館の曲輪の南西部の中腹に神明社があり、これが曲輪の名前の由来だと思われる。ちなみに神明館内部も一枚撮っていたはずだが、帰ってから確認したら何故か無かった。


常念館の南端部
神明館から沢を挟んで南には常念館があるが、曲輪は小さく、ちょっと離れているので城の南の方を監視するための出城なのだろう。実際、文献によっては常念館が一戸城から省かれている。なお、内部は住宅地でこれといったものは無かった。

2019年1月7日月曜日

9月の3連休の旅:九戸城(岩手県二戸市)

2018年9月24日訪城。

岩谷観音堂へと参拝した後は、九戸城の中枢へと向かうためにまず市街地化した三の丸の小路の奥にあるガイドハウスへと向かった。


九戸城ガイドハウス
ガイドハウスは地味に判り辛い場所にあり、車で来た場合は県道274号線から岩谷橋付近の交差点にある九戸城の案内表示に従って曲がり、進んだ先の裁判所前を右に曲がった奥の砂利道の所にある。文字通り九戸城をガイドしてもらえる場所であるが、軽く資料も展示しており、特にプロモーション映像はなかなかよく出来ているので一見の価値はある。


九戸城中堀
ガイドハウスの隣には九戸城の中枢を囲っていた堀が残っており、復元図では水堀になっているが、現状を見る限りでは泥炭堀だったと思われる。


二の丸と在府小路の間の堀跡
二の丸と在府小路の段丘の間の空間もかつての堀の跡で、今はここに車道が通っている。このため、観光客はここまで車で来てしまうようだが、この先に駐車場は無いため、二の丸大手口前に路駐している光景をこの日も何度か見かけた。一応、トラブルになるとまずいので車はガイドハウス前の駐車場に置いてきた方がいいと思う。


二の丸大手口
二の丸と在府小路の丘との間には土橋が架けられていたようだが、今は車道が横切っている為、土橋は破壊されている。現在、二の丸大手口へはこの車道から斜めに道が取り付けられており、ここから城の中枢に入ることになる。


本丸内堀
二の丸大手口から入って奥に進むと本丸を囲む内堀があり、画像では草で判り辛いが内堀の側面は石垣になっている。この辺りは蒲生氏郷によって改修された箇所で、九戸政実の頃は石垣では無かった。


本丸南虎口
本丸の南側の虎口は外枡形になっており、二の丸とは直接繋がっている。本丸東の虎口が大手門とされているので、特に記載は無いがこちらは搦手門なのだろう。


本丸東虎口
 本丸の東側の虎口は内桝形になっており、二の丸とは木橋で繋がっていたとされる。現在はここに何故か斜めに仮設の橋が架けられている。古城絵図などによればこちらが大手門だそうである。


本丸内部
本丸内部は二段になっており、今は境界部分に生垣が植えられている。本丸の土塁は内堀沿いにだけ造られており、3隅には櫓台の跡があった。本丸は段丘の端にあるため、眼下には三の丸跡の市街地が見える。


二の丸搦手口
二の丸の搦手口は堀底に降りる坂になっており、石沢館や若狭館の曲輪へは堀底を通って連絡していたようである。


二の丸と若狭館の間の堀底
この堀底がなかなかの曲者で、若狭館へ向かう場所は道が泥に埋もれており、すっかり靴が汚くなってしまった。


石沢館跡内部
なお、石沢館の曲輪の内部は画像の通り広く、現在は草原になっている。石沢館と若狭館は改修される前の九戸城の様子を色濃く残しているとされており、九戸政実の頃は南部氏特有の群郭式の縄張りの城だったと思われる。


若狭館跡内部
若狭館の曲輪も内部は広いが、こちらは石沢館と違って内部に木々が生えている。


松の丸内部
さらに離れた場所にある松の丸にも立ち寄ったが、ここの内部は二つに別れており、今は南側が公園、北側が墓地になっている。城の中枢からは離れているが、ここも本丸二の丸同様に福岡城時代に整備された曲輪だという。


松の丸の土橋
松の丸と在府小路は恐らく同じ段丘で、この間は深い堀で隔てられている。ここの堀は城内でもなかなかの深さで見応えがあったが、草木が邪魔で写真に撮るとその迫力が全く伝わらないのが悩ましい。画像はその堀に架かる土橋。