2019年7月30日訪城。
広島旅行の最終日は広島バスセンターから庄原方面行きの高速バスに乗って北広島町へと移動し、千代田インターのバス停で豊平方面行きの路線バスに乗り換えて海応寺へと向かった。海応寺地区は毛利三兄弟の次男の吉川元春が隠居の地として選んだ場所で、その館跡が整備されていると聞いて是非とも訪れたかった場所である。
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戦国の庭歴史館 |
海応寺地区に着いてまず驚いたのは山間部のほとんど平地の無い山奥ということで、山陰の覇者である吉川家の当主が晩年に暮らした場所としては質素過ぎることであった。とりあえず、まず資料館に向かったが、場所が場所だけによっぽどの歴史マニアじゃないと訪れ無さそうな立地が心配になる。内部は普通に吉川元春館に関する展示や、映像などがあって散策の参考になった。
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屋形跡の正面 |
屋敷は志路原川が蛇行する箇所の丘の上にあり、東側に大手の虎口がある。屋敷自体は丘の東を石垣で補強された曲輪にあり、この石垣の手前は腰郭のようにちょっとしたスペースになっている。
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石垣 |
石垣はだいたい3mくらいでそんなに高くない為、防御というよりは丘の斜面を補強するためのものと思われる。それでも石垣がずらっと並んでいると見応えがあって良い。
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復元された台所 |
屋敷跡では台所の建物が復元されており、内部に自由に入れるようになっていた。たぶん休憩施設も兼ねているんだろうか。
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台所内部 |
台所の建物の内部はよく出来ており、画像のように竈なんかもしっかり作られていた。もしかすると実際に使用できたりするのだろうか。
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建物跡 |
台所以外の建物は建物跡の表示と範囲だけが平面表示されており、これを見ると主殿なんかは思ったよりも小さく感じた。
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庭園跡 |
屋敷の内部で特に興味深かったのは庭園の跡で、池の底には石が敷き詰められており、建物と違ってこれは当時のままだというのがポイントが高い。吉川元春が御殿で見ていた光景の一端が今も見られるのだから猶更である。
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吉川元春墓所 |
屋敷から西の山の中に入って行くと、しばらく登った場所に吉川元春と元長の墓所があった。当初はなんでこんな森の中にと不思議に思ったが、昔は地名にもなっている海応寺(海翁寺)という寺院がここにあったようである。吉川家は結局岩国に移されており、寺院もそれで無くなったようだ。
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南の空堀 |
屋敷の北と東は段丘崖で、西と南が丘に続いている為、この箇所に堀が造られている。西側は墓所に続いていたせいか堀が小さいが、南側はしっかり丘を切断する空堀が設けられていた。
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松本屋敷跡 |
吉川元春館跡を散策した後は北に300mほど離れた場所にある松本屋敷跡も訪れた。こちらは吉川元春の奥方の屋敷跡で、緩やかな斜面の上に山側以外を石垣で補強された長方形区画があり、やはり中央付近に虎口と見られる凹みが見られた。ただ、吉川元春館のように整備はされておらず、内部にも入れなかった。