2019年7月28日訪城。
広島県の三原を訪れた後は、「小早川家を訪れたんだから吉川家にも行こう」という理由で広島の中心部を素通りして山口県へと移動し、県境にある岩国を訪れた。岩国は吉川元春の次男の広家が築いた岩国城とその城下町があり、江戸時代は岩国藩として明治まで続いた。
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錦帯橋 |
岩国の城下町は岩国駅からは少し離れており、錦川沿いを少し遡った中流の大きく蛇行している地にあった。町屋と武家屋敷の間は錦川で隔てられており、そこには有名なあの錦帯橋が架かっている。江戸時代以前の木造橋は日本各地にあるものの、木造の連続アーチ橋は自分が知る限りではここにしかないため、是非とも一度訪れてみたかった場所だった。
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錦帯橋を渡る |
錦帯橋は有料で、料金所で料金を払って渡ることになるが、ロープウェーで岩国城にも行く予定だったため、全てセットになった共通券を購入した。橋は見た目は凄い美しかったものの、実際に歩いてみると階段に歩幅が合わなくて歩きづらかった。それでも当時の武士がこの橋を渡って登城(出勤)していたとおもうとなかなか興味深い。
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香川家長屋門 |
橋を渡った対岸は上級藩士たちが暮らす武家屋敷で、今でもその雰囲気がそこらかしこに残っていて良かった。画像の長屋門は家老を務めた香川家のもので、見ての通りなかなか立派な造りである。
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内堀 |
武家屋敷の町を北に移動すると内堀で隔てられているが、この先が藩主とその一門の居住区になる。この現存する内堀は画像の通りそこそこ幅があり、この先が岩国陣屋の城内だということがよく判る。
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錦雲閣 |
岩国陣屋は「御土居」と呼ばれており、その跡の南東隅には錦雲閣という御堂が立っている。この御堂は離れてみると見た目が櫓そっくりである。実際、岩国陣屋が現役だった頃にはこの場所には2階建ての隅櫓が建っていた。
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吉香神社 |
岩国陣屋跡には建物は現存しておらず、今は吉香神社の境内になっている。この神社は廃城後の明治18年に横山から移されたもので、鳥居は普通だが本殿とその手前の神門がなんとも独特だった。
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大手門跡 |
吉香神社は南向きでそちらの鳥居を正面としているが、東の鳥居のある場所が岩国陣屋の大手門跡となっている。脇には今も石垣の一部が残っているが、本来はこの場所は桝形があった場所で、画像の通り残念ながら桝形は解体されてしまっている。
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吉川家厩門 |
陣屋跡から内堀を隔てて東には吉川家一門の屋敷跡があり、大手門跡を出てすぐ左手には画像の厩門が残っていた。
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昌明館跡 |
この辺りには画像のように昌明館(藩主の隠居所)の建物の一部が現存しており、なかなか見所が多かった。
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吉川史料館 |
昌明館跡は現在は吉川史料館になっており、文字通り吉川家の歴史資料や美術資料などを展示している。