2019年7月28日訪城。
麓の武家屋敷と岩国陣屋(御土居)を見た後はロープウェーで山の上へと登り、岩国城(横山城)へと向かった。岩国城は御土居を築いた吉川広家が詰城として築いた山城で、1608年に築城したものの結局廃城令に従って1615年に破却されている。
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ロープウェーで山頂へ |
ロープウェーに乗って一気に200mほど登っていくと、眼下に城下と遠くの海が見えてきて素晴らしい眺めだった。あと、ロープウェーから見た山の斜面はかなり急で、ここが要害の地だというのが良くわかった。
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ロープウェー山頂駅の広場 |
ロープウェー山頂駅を出るとそこは広場になっているが、岩国城の絵図を見る限りではここも曲輪だったようで、下之御国屋敷(※文字がよく読み取れなかったので間違っているかも)があった場所のようだが、現状ではそこそこ広い削平地ということしか分からなかった。
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切通 |
山頂駅からは歩きやすい車道と旧道の山道があったが、とりあえず山道から本丸を目指して進んだ。途中の切通で車道にも繋がるが、そのまま山道を進むことにした。ちなみにこの切通も岩国城の絵図に描かれている。
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出丸の石垣 |
山道を進むとついに石垣が見え、いやがうえにもテンションが上がってくる。位置的には出丸の端の方の石垣のようだ。
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大手門跡 |
石垣伝いに進むと桝形虎口があり、ここが大手門跡になる。いかにも近世城郭といった造りで素晴らしい。
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二の丸跡 |
大手門跡の先は二の丸跡で現状はごらんの通りの公園で特にこれといったものは無かった。公園は花壇のように石で囲まれていたが、恐らくこの石は石垣の残骸だと思われる。
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外観復元天守閣 |
二の丸跡から本丸を見ると岩国城の写真でよくお馴染みの天守閣が見えるが、この天守閣は当時の図面を元にして外観を復元して建てられている。ただ、この天守閣は実は天守閣があった場所に建っておらず、昭和の頃に「本来の位置だと麓から天守閣が見えない」という理由でこの位置に建てられたエピソードがある。このため、資料によっては外観復元天守というよりは模擬天守に分類する場合もある。
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天守台 |
本来の天守閣は本丸の北西部にあり、今は天守台の石垣だけが残っている。なお、この天守台は残念ながら上に登ることは出来なかった。
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天守閣からの眺め |
天守閣の内部は他と同様に資料館になっており、最上階からの眺めは絶景だった。特に画像中央に見える錦帯橋を渡る人々がここからも良く見えたことは興味深かった。
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東櫓付近の石垣残骸 |
本丸より北側の石垣はほとんど修復されておらず、廃城後の石垣の残骸状態の箇所が数多く見られた。
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空堀 |
本丸の北側には巨大な空堀があり、これがなかなか圧巻だった。堀の側面に石垣の残骸があったので、築城した当初は石垣で囲まれていたのかもしれない。
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北の丸 |
本丸から空堀を隔てて北には北の丸があるが、ここは今はただの広場になっていて特にこれといったものは無かった。一応、北の丸から北に降った箇所に搦手門跡があってそこから麓に降りる山道があるようだが、今回は余裕が無かったのでパスした。
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大釣井戸 |
北の丸から西側の車道を通ってロープウェー駅へと戻ると、途中で大釣井戸を見ることが出来たが、どういうわけかこの周辺は立ち入り禁止の立て札があったため、上から遠巻きにしか確認できなかった。