2020年3月9日月曜日

夏の広島旅行:三原城(広島県三原市)

2019年7月28日訪城。

7月末にまとまった休みが取れた為、以前から行きたかった広島旅行へと出かけた。初日は三原に立ち寄ったが、三原は以前岡山周辺を旅した時に一度立ち寄ったことがあるので今回は二度目になる。三原駅のある場所は小早川隆景が築いた三原城の跡であり、今回は前回見落とした場所を巡りに立ち寄った。

みはら歴史館
駅前のペアシティ三原の1階に「みはら歴史館」が新しく出来ていたので立ち寄ったが、内部は情報が軽めの歴史資料館といった感じだった。あと、ここは一時的な施設らしくそのうち無くなるようだ。


駅前広場
前回来た時は駅前広場で何かのイベントをやっていたりしたのだが、その広場は今回はフェンスで囲まれて建設工事が行われていた。どうやらホテルがここに建つらしいが、イベント等がやりやすい広いスペースが無くなるのはちょっと勿体ない気がする。


鍛冶曲輪の石垣
前回本丸のガード下の石垣を見て満足して見逃していたのだが、ガード下は鍛冶曲輪側でも石垣が残っており、今回改めて画像の通り横矢の石垣を見ることが出来た。


鍛冶曲輪の石垣
鍛冶曲輪の石垣はガード下を出た先にも続いており、水堀は埋められているが、曲輪の形は良く残っていた。


水堀の断片
鍛冶曲輪と三の丸の間の水堀は前述の通り埋まってしまっているが、水堀の断片が暗渠の水路になって微妙に残っていた。


三の丸の堀跡
鍛冶曲輪跡から三の丸跡へと移動し、三の丸跡の堀跡を探してみると、画像の箇所に窪地になっている箇所が確認できた。縄張り図と照らし合わせてみると三の丸東門脇の水堀の跡のようで、つまり画像右の外側の今は民家立っている箇所に三の丸と外郭を繋ぐ土橋がかつてあったことになる。


外堀跡
外郭と和久原川の間には川と並行に走る水堀が絵図には描かれており、現代の地図でも同様の箇所に水路が通っているのが確認できる。ただ、その水路は北側では画像右に見える通りほぼ暗渠となっている。


外堀跡の石垣
それでも南の方へ行くと暗渠になっていない箇所があり、ここでは画像の奥の通りコンクリートではなく石垣の箇所も確認することが出来た。


水刎
なお、和久原川にも当時の遺構があり、水刎と呼ばれる川の勢いを殺すための出っ張りが残っていた。ここはちょうど川のカーブに当たるため、川によって城側が削られるのを防ぐ役割があったという。


天守台
前述の外堀跡の水路はガード下を越えてイオンの辺りまで残っているようだが、微妙に遠回りになるのでパスした。そのため、今は石碑があるだけの東大手門跡から山陽道跡に沿って天守台周辺まで移動し、再び駅から次の目的地へと移動した。