2018年9月30日日曜日

9月の福井への旅:大野城-前編-(福井県大野市)

2018年9月9日訪城。

福井城を見て回った後は以前から来たかった福井の奥地にある大野へと向かった。山間部を縫う回廊を抜けると急に広い盆地が現れ、その盆地の西側の亀山の上に織田家臣の金森長近が築いた大野城があった。

城下町
大野の城下町も当時の町割りを良く残しており、七間通りなんかは雰囲気も城下町らしくて良かった。街の背後に城が見えるのはやはり絵になる。


武家屋敷内山家の庭園
城下町も色々散策したかったが、とりあえず武家屋敷へと立ち寄った。武家屋敷の内山家は庭園が綺麗で、屋敷内も二階に納屋があって玄関からマキを直接荷揚げできる仕組みになっているのは興味深かった。


武家屋敷田村家
次に立ち寄った武家屋敷は三の丸跡にある田村家で、門が無い為か最初は武家屋敷に見えなかったが、玄関と通用口が別にあることや内部の造りは正に武家屋敷だった。


田村家の庭園
雨が強くなった為、しばらく田村家の縁側で庭園を見て休憩した。なお、庭園の借景になっているのは三の丸の土塁で、今はここにしか残っていないそうだ。


三の丸外堀
三の丸は外堀の東側の一部が残っており、今はここより内側が小学校や生涯学習センター等の敷地になっている。


二の丸内堀
二の丸と三の丸の間の堀はほとんど埋められてしまったが、唯一二の丸の北側部分の堀だけが一応水路として残っていた。


二の丸・三の丸跡
二の丸と三の丸の間を埋め立てて学校等の敷地としているため、全く面影が見られないが、当時はこの画像の奥に二の丸御殿があり、画面中央あたりに二の丸の南隅櫓が建っていたという。


柳廼社
学校のグラウンドの南隣はかつての武芸訓練場所(的場や馬場)で、今は大野藩主の土井忠利を祀った柳廼社の境内となっている。なお、画像の左側画面外に窪地があり、恐らく堀の跡だと思われる。

2018年9月28日金曜日

9月の福井への旅:福井城-後編-(福井県福井市)

2018年9月9日訪城。

福井城本丸を散策した前編からの続き。

明治の山里口
山里口を出て廊下橋を渡った先の看板に明治時代の山里口の様子が載っていたが、石垣の上に塀があるのがハッキリと判る。


現代の山里口
明治の写真と同じ構図になる場所を探して撮ってみたが、塀以外はほぼ同じ状態に復元されているのがよく判る。あと、何気に明治の頃は本丸内に巨木が立っていたことが見比べてみて判った。


中央公園
山里口を出た先には市街地としてはかなり広い公園があるが、二の丸(山里丸)と三の丸の間の堀を埋めて合体させて造られた広場である。


二の丸と三の丸間の堀
地図上では完全に堀は埋められているが、実際に公園を散策してみると、公園南側にちゃんと堀があったことを示す窪地があった。本来はこの幅の堀がずっと公園を縦断して北側まで続いていた。


三の丸の堀
公園の西側の車道との間にも堀が部分復元されていたが、こちらは堀跡西側が車道になっているため幅がよく判らない状態である。あと、一応水が張られているが、堀底は20~30cmくらいで浅く、子供でも溺れようがないくらいだった。


舎人門
その後、市街地を移動して歴史博物館を見た後に敷地の北側にある復元された舎人門も見た。福井城の外郭で城門周辺の遺構が見られる場所はここにしか無く、当時は門の内側には武家屋敷が立ち並び、外側には北国街道沿いに城下町が広がっていた。


舎人門内側の通路
地味に門の内側の通路も復元されており、通路は門を入ってすぐに右に折れ曲がる。通路の左側には当時は福井藩士の渋谷氏の屋敷があった。なお、現代の市街地は戦後の瓦礫などで埋められて嵩上げされているらしく、江戸時代の地面の高さと意外と差があることが通路奥で判った。

2018年9月17日月曜日

9月の福井への旅:福井城-前編-(福井県福井市)

2018年9月9日訪城。

8日の夕方に福井に到着したものの雨で気力が駄々下がりだったため、この日は駅前の石田屋でおでんを肴に飲み明かして終了。翌日もやはり雨だったが、旅の目的である福井藩の藩庁で今も政の中心となっている福井城へと向かった。


百間堀跡
福井駅前の北陸銀行前に百間堀跡の説明板があるが、この説明板によれば自分の立っている場所も画像に見える車道や奥のビル群の場所も含めて全て百閒堀と呼ばれる水堀の跡で、今は完全に埋め立てられているため、堀があったことに気づくのは不可能なレベルである。


百間堀の石垣
百間堀の護岸石垣が埋まっている様子が床の硝子ごしに見えるはずなのだが、雨で曇ってぼやけてよくわからない画像になってしまった。


本丸内堀
当時と同じ水堀が残るのは本丸内堀くらいで、この石垣と水堀のある光景を見るとやっとここが城跡だということが良くわかる。


本丸瓦御門跡
福井城には昔一度だけ来たことがあるが、その時は駆け足でよくわからなかったが、今見てみると地面の赤いレンガは当時の城内へ入る道を表していて、本丸瓦御門の桝形で折れているのが良くわかる。また、画像右の花壇の淵ような低い石垣も当時の櫓門の石垣があった場所を表しており、ここにも画面左と同じ高さの石垣が当時はあったのだ。


本丸御殿跡
赤いレンガは本丸御殿の玄関跡に続いているが、何気に福井県庁の正面玄関もその延長線上にある。もしかすると県庁を設計した人物が狙ってこうしたのかもしれない。


福の井
県庁の裏手に回ると天守台があるが、ここに"福井"の地名の由来となった"福の井"がある。以前は井戸の本体しか無かったが、最近屋根や当時と同じ側溝が復元されたようでまだ木材や石が目新しかった。


地震で歪んだ天守台の石垣
以前、福井城に来た時に印象に残ったのは"歪んだ天守台"で、これは記憶通り今も変わっていなかった。これは昭和23年の福井地震で歪んだもので、震災遺構として今も残されているという。


山里口御門
今回の旅の目的は新しく復元された山里口御門で、ここは本丸の搦手門(裏門)にあたる。両脇の石垣に乗るタイプの櫓門ではなく、石垣より低い位置にある櫓門のため、かなり窮屈に見えるが裏口なので埋門の流れを汲んでいるのだろう。


枡形内部
枡形の内部はS字に折り曲げてあり、かなり防御に気を使った造りになっているのが面白い。内側と外側で瓦の色が違うのが目立つが、内側の青い瓦は笏谷石の石瓦で、外側の赤い瓦は雪害に強い赤瓦だろう。なお、笏谷石の採掘はもうされていないため、赤瓦を使用しているのかもしれない

2018年9月15日土曜日

9月の福井への旅の道中:浜松城(静岡県浜松市)

2018年9月8日訪城。

9月は前々から福井旅行を計画して準備は万端だったが、近畿地方での台風21号の被害が予想以上に大きかった為、今回はキャンセルしようと思ったが、福井側ではあまり大きな被害が無かったのと交通機関は大丈夫そうだったのでそのまま決行することにした。

ただ、結局旅行中はずっと雨だったのと、出発前に北海道胆振東地震が起こって状況が気になってしかたなかったことから、延期するべきだったと後から後悔した。

初日は移動途中でお昼に静岡県の浜松に寄って昼食をとり、せっかくなのでその足で浜松城にも見に行ったのだが、何故か晴れてた空が曇りだして城に着く頃には激しい夕立になってしまった。

浜松城模擬天守閣
遠くで青空が見えているのに土砂降りという、いかにも夏らしい天気で、ちょうど来ていた観光客らしき人達が天守門の軒下と屋根付きの井戸で雨宿りしていたのが印象的な光景だった。


天守曲輪の発掘場所
天守曲輪ではちょうど発掘調査が行われているようで、南側の土塁近辺にビニールシートを被せた発掘場所があった。瓦が発掘されたので建物の痕跡を調べていると言ってた件のやつだろうか?


天守曲輪の石垣
天守曲輪を清水曲輪から見ると特徴的な色合いの石垣が良く見えていい感じだった。そういえば昔は草木が覆っていた印象だが、大分印象が変わった感じがする。富士見櫓跡あたりも木々で視界が悪かった思い出だが、今は大分眺めが良い場所になっていた。