2018年9月28日金曜日

9月の福井への旅:福井城-後編-(福井県福井市)

2018年9月9日訪城。

福井城本丸を散策した前編からの続き。

明治の山里口
山里口を出て廊下橋を渡った先の看板に明治時代の山里口の様子が載っていたが、石垣の上に塀があるのがハッキリと判る。


現代の山里口
明治の写真と同じ構図になる場所を探して撮ってみたが、塀以外はほぼ同じ状態に復元されているのがよく判る。あと、何気に明治の頃は本丸内に巨木が立っていたことが見比べてみて判った。


中央公園
山里口を出た先には市街地としてはかなり広い公園があるが、二の丸(山里丸)と三の丸の間の堀を埋めて合体させて造られた広場である。


二の丸と三の丸間の堀
地図上では完全に堀は埋められているが、実際に公園を散策してみると、公園南側にちゃんと堀があったことを示す窪地があった。本来はこの幅の堀がずっと公園を縦断して北側まで続いていた。


三の丸の堀
公園の西側の車道との間にも堀が部分復元されていたが、こちらは堀跡西側が車道になっているため幅がよく判らない状態である。あと、一応水が張られているが、堀底は20~30cmくらいで浅く、子供でも溺れようがないくらいだった。


舎人門
その後、市街地を移動して歴史博物館を見た後に敷地の北側にある復元された舎人門も見た。福井城の外郭で城門周辺の遺構が見られる場所はここにしか無く、当時は門の内側には武家屋敷が立ち並び、外側には北国街道沿いに城下町が広がっていた。


舎人門内側の通路
地味に門の内側の通路も復元されており、通路は門を入ってすぐに右に折れ曲がる。通路の左側には当時は福井藩士の渋谷氏の屋敷があった。なお、現代の市街地は戦後の瓦礫などで埋められて嵩上げされているらしく、江戸時代の地面の高さと意外と差があることが通路奥で判った。