2021年6月6日日曜日

九州の西半分ついで旅:新地荷蔵(長崎県長崎市)

 2020年8月5日訪問。

出島の描かれた絵図をよく見ると出島のほかに東側にもう一つ人工島が描かれている。出島と違ってこちらは方形で陸地とは2か所の橋で繋がっている。この人工島は1702年に造られた新地荷蔵という施設で、貿易品を保管しておく場所だったようである。こちらも出島と同様に周囲は埋め立てられて島の面影が無くなったが、面白いことに新地荷蔵だった範囲が今はそのまま新地中華街になっている。


新地蔵跡の石碑
新地中華街の中心の十字路まで行くと、ちょうどそこに新地蔵跡の石碑と説明板があった。説明板には前述の新地荷蔵の人工島が築かれた経緯が書かれているが、現状だと新地荷蔵跡を示す痕跡はこれくらいしか無い。


新地中華街
横浜中華街と比べるとかなり小さな街だが、中華料理屋や雑貨屋が並んでおり東西南北に四神の門があるのは共通していた。


玄武門
中華街北側の玄武門の先には川があって新地橋が架かっているが、ここも出島と同様に海を埋め立てて出来た川であり、このあたりが当時の新地荷蔵の島に渡る橋があった場所だと思われる。

なお、この時は見落としてしまって後の祭りとなったが、新地の当時の護岸の一部がホテルJALシティのあたりに残っているらしい。