2020年3月2日月曜日

夏の岩手の旅:鳥海柵(岩手県金ヶ崎町)

2019年7月13日訪城。

金ヶ崎城と武家屋敷を散策した後は町から少し離れた場所にある鳥海柵を見に向かった。鳥海柵(とのみのさく)は古代城柵の一つだが、律令政府ではなく在地の豪族が築いたもので、内郭外郭を持つテンプレート的な城柵ではなく、どちらかというと連郭式の縄張りの武士の時代の城に近い構造をしている。城主は安倍頼良の三男の安倍宗任で、「前九年の役」で安倍氏は滅亡するものの宗任だけは捕虜となって京に送られ、後に九州へと流されている。

鳥海柵跡の碑
町から東北本線を越えて高速道路の手前まで移動すると、鳥海柵の石碑が立っている広場にたどり着いた。元々は何かの工場の敷地だったみたいだが、今は公園として整備されている場所らしい。ちなみにこの場所は鳥海柵の三の曲輪の跡になる。


二の曲輪と三の曲輪の間らへん
ただ、三の曲輪と二の曲輪の間にあった空堀は完全に埋められてしまっており、画像の通りで境界はさっぱり分からない。ちなみに二の曲輪の南東隅も小さな空堀で切り取られていたようだが、今は埋め戻されているようで確認できない。


主郭と二の曲輪の間の空堀
一方で二の曲輪と主郭の間の空堀はしっかり残っており、この城跡では一番の見所であった。堀の西側は高速道路で遮断されているが、高速道路よりも西側へと延びている。


主郭への入口
二の曲輪から主郭に移動しようと思っても空堀を渡る術が無い為どうしようも出来ない。なお、一旦公園を出て高速道路の橋の所まで移動すると脇道があるので、そこから入ると主郭へと移動できる。


主郭跡
主郭跡は水田になっており、ここにも説明板と城址碑が立てられていた。画像左奥の城址碑付近には城跡から見た豊田館の位置や極楽寺の位置などが描かれた景観図もあった。なお、遺構は前述の堀以外に確認できるものは無かった。


主郭北側の外堀
主郭の南側にも外堀があるが、これは沢を利用して造られたもので、この沢を起点にして北側の段丘上に城柵を築いたものと推測される。


段丘の麓側
段丘の麓は今は水田地帯になっているが、当時は恐らく湿地帯だったと思われ、源頼良が陣を構えた南側に対しては胆沢川と湿地帯によって守られていたものと思われる。