2020年2月27日木曜日

夏の岩手の旅:金ヶ崎城(岩手県金ヶ崎町)

2019年7月13日訪城。

胆沢城跡の周辺には昼飯を食べれる店が無かった為、そこから北上して金ヶ崎町に移動した。金ヶ崎町の中心には伊達藩の金ヶ崎要害こと金ヶ崎城があり、その周辺には武家屋敷もあるため、散策ついでに金ヶ崎で昼食を取ることにした。

金ヶ崎要害歴史館
金ヶ崎の武家屋敷の通りを移動していると、昔来た時は無かった「金ヶ崎要害歴史館」なる建物があったのでさっそく中に入った。内部は文字通りの歴史資料館で、職員の方からかなり丁寧に説明をしてもらった。ここには広い駐車場もあるため、金ヶ崎の武家屋敷散策にはちょうどいい拠点だと思う。

武家屋敷の通り
歴史館を出た後は武家屋敷のある一帯を散策したが、生垣などがあるためか独特の雰囲気があってとても良い。武家屋敷は11棟ほどあるが、非公開の場所も多く、常時公開しているのは大沼家くらいかもしれない。


伊東家
武家屋敷の一つである伊東家は今はEcruとかいう名称のレストランになっており、昼食はここで食べたが、御屋敷の座敷でパスタを食べるというなんとも歌舞いた経験をしてしまった。もちろん料理は美味しかった。


大沼家
昔、金ヶ崎を訪れた時は片平丁の大沼家を訪れたが、今回は土合丁の大沼家の武家屋敷を訪れた。ここはちょうど台地のへりにあり、屋敷からは奥州街道が見える為、ここの大沼家にはそれを監視する役割もあったのだとか。ちなみに武家屋敷に大沼家が複数あるが、ここで聞いた限りでは本家分家の関係では無いらしい。


外堀
武家屋敷の散策後は金ヶ崎城跡に向かった。ここにはけっこう深い外堀が残っているのだが、夏場はごらんの通り草木が覆い茂って写真だと何が何だか分からない。


二の丸跡
とりあえず二の丸跡から城内に入るが、ここは今は諏訪公園の広場になっている。曲輪跡という点以外では特に目に付くものは無い。


蔵館跡
二の丸跡から空堀で隔てて北上川側に小さな曲輪がある。ここは蔵館と呼ばれており、文字通り蔵があった場所のようだ。現在は四阿が建てられているが、スペースが狭いので撮影し辛い。


二の丸と本丸の間の通路
二の丸から堀沿いの犬走のような場所に降り、橋を渡って本丸側へと移動する。ちょっと不思議な園路であるが、当時の絵図を見ると大手門から堀沿いの犬走のような場所を移動して二の丸、本丸に入る構造になっているため、この辺りは比較的当時の様子が残っている場所なのかもしれない。


本丸跡
本丸跡も二の丸同様に広い広場になっているが、本丸と大庭(馬場)の境界が曖昧になっているので、見た目よりは狭いかもしれない。


土塁跡と堀跡
 本丸を東に移動すると土塁と堀の跡があり、これより東が東館跡になるが、今はこのあたりは民家が建ち並んでいる。