2020年2月16日日曜日

夏の岩手の旅:胆沢城(岩手県奥州市)

2019年7月13日訪城。

7月の3連休は岩手県へと出かけ、初日は奥州市の水沢に立ち寄った。目的地は北部の田園地帯の中に残る古代城柵の胆沢城跡である。

胆沢城は律令政府が802年頃に築いた城柵で、後に多賀城にあった鎮守府がこの城に移されて陸奥国における律令政府の軍の総本部となる。

南大路
ちょうど外郭の南門跡付近の整備が完了したというニュースを聞いたのが今回ここを訪れた理由の一つで、画像のように城に続く南大路と南門跡の築地塀が復元されていた。築地塀はコンクリート製と聞いたので、正確には外観復元である。


外郭南門跡
南門跡は画像のように柱跡だけを表示しており、両脇の築地塀と違って平面復元に留まっている。たぶん現在の志和城に建てられている城門と同じような門だったと思われる。


側溝跡
門の周囲には側溝跡も表示されており、堀というよりは排水等を流すための水路として利用されていたものと思われる。


南の築地塀跡
現在、外郭の築地塀跡は大半が車道として利用されており、南門跡から真っ直ぐ東に向かうと画像の道になる。恐らく土で造られた築地塀が風化で崩れた跡が田んぼのあぜ道のようになり、ちょうど通路として利用するのに良かった為、道となって現代に続いたものと思われる。


外郭南東隅
外郭の隅には画像のように「胆沢城跡」の白い看板が建てられており、ここは南東隅にあたる。つまり、ここから築地塀跡は北に折れることになる。


東の築地塀跡
東の築地塀跡は南側だけ車道になっており、北側は田畑に埋もれている。恐らく画像のように途中に川が横切っている箇所があるため、そのまま道として利用できなかったのだろう。


外郭北東隅
外郭の東築地塀跡を北上すると外郭北東隅にたどり着くが、遺跡のマップを見ると微妙にずれており、正確には北東隅は奥の雑木林の中にある。ただ、微妙に低くなっている為、胆沢川の浸食の影響を受けたのかもしれない。


北の築地塀跡
外郭北東隅から今度は西に向かうが、ここからは再び築地塀跡が車道になっている。


鎮守府八幡宮
外郭の北の外側には八幡宮が鎮座しており、由緒に寄れば胆沢城が築かれた際に坂上田村麻呂が勧請したものだという。城から見ると真北ではなくやや北東に寄っているので鬼門を意識していたのかもしれない。ここの参道は白洲になっており、拝殿もけっこう立派で驚かされた。


外郭北西隅
築地塀跡の車道をひたすら西に行くと外郭北西隅にたどり着くが、ここは他の隅よりも外との高低差があるため判りやすい。


西の築地塀跡
外郭北西隅から西の築地塀跡を南下するとやがて八幡宮の一の鳥居に出る。国道から鎮守府八幡宮に向かうには、ここから参道に入ることになる。


西の築地塀跡
国道をまたいでさらに西の築地塀跡を南下すると、ちょうどJRの東北本線とぶつかる所で外郭南西隅になる。うっかり写真に残し忘れるミスがあったが、他の隅と同様に白い胆沢城跡の看板が立っている。


政庁跡
外郭だけでなく政庁跡にも立ち寄ったが、この辺りは説明板が増えたくらいで昔来た時と大きく変わった感じは無かった。南門跡が整備されたのだから、将来的にはこの辺りも整備するつもりなのだろう。