2020年2月7日金曜日

GW北東北の桜旅:猿賀館(青森県平川市)

2019年5月2日訪城。

弘前に戻った翌日、今度は黒石方面へ向かう弘南鉄道に乗り、尾上駅で下車。この地域の鎮守である猿賀神社へと向かった。ここには福王寺別当の乳井玄蕃が築いた猿賀館があり、玄蕃は猿賀神社の神職も兼ねていた。その後、南部氏家臣の滝本重行が玄蕃を討ち取って家臣の後藤五郎左衛門を置いたが、後に大浦為信によって攻略され、為信家臣の木村越後が館主として置かれた。

猿賀神社大鳥居
県道117号に沿って移動すると、やがて赤い立派な鳥居が立つ猿賀神社の参道にたどり着いた。この参道の脇の両サイドには寺院があり、大きな草鞋を吊るした山門などもあってなかなか立派だった。


猿賀神社拝殿
猿賀神社は祭神として田道将軍こと上毛野君を祀っており、4世紀の蝦夷征伐で今の宮城県の石巻(千葉の夷隅説もあり)にて戦死した朝廷側の将軍を、遠く離れた津軽で祀るという不思議な由緒を持っている。なお、境内にはソメイヨシノの木が植えられていたが、画像の通りほとんど散ってしまっていた。


猿賀館跡
神社の本殿の脇に回り込むとそこには猿賀館跡の標柱が立っており、この周辺には土塁が良く残されていた。標柱によると、近世までは堀もしっかり残っていたと書かれているので、今は埋められてしまっているのだろう。


土塁と虎口?
神社北西部の土塁跡と土塁跡の間に虎口のような箇所があるが、仮に虎口だとしても大手では無さそうである。


土塁
土塁は2段階に折れている為、少なくとも方形の居館よりは複雑な形をしていたようだ。折れているのが北東なら鬼門封じになるが、ここは北西なので鬼門や裏鬼門とは関係ない。


神社背後の北側の曲輪跡
なお、土塁の向こうの北側にも曲輪跡と思われる平場がある。ただ、現状はただの雑木林と畑で特にこれといったものは見つからなかった。


堀跡?
北側の曲輪跡の北と東側は低地になるため、恐らくここに標柱に書いてあった堀跡があったのだろうと思われる。現状は画像の通り、水路が通っている。


鏡ヶ池と胸肩神社
館跡の東には鏡ヶ池という大きな池があり、実質外堀を兼ねていたものと思われる。この池の中島にも神社が祀られており、額には「胸肩神社」と書かれていた。なんだか健康に良さそうな名称だが、恐らくこれは「宗像神社」のことで、水運安全や水難防止のためによく祀られる神様である。


池のほとりの枝垂桜
ソメイヨシノはほぼ全て散ってしまっていたものの、枝垂桜に関してはまだ辛うじてお花見できるくらいの花が残っており、池の景色と相まって趣ある風景を醸し出していた。


池のほとりの八重桜
他に八重桜も池の北側に植えられていたが、こちらはこれからピークといった感じで、だいたい満開で綺麗だった。