2017年7月16日訪城。
米ヶ崎城を散策後、浜田広綱の米ヶ崎城以前の居城である高田城に向かった。高田城は今回二度目だが、どうやら復興事業の一環で城跡の一部が消滅したと聞いたので確認も含めて再訪した。
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城跡の入口 |
城跡の前の平地は10mほど嵩上げされているため、以前の記憶と比べるとかなり違和感がある光景がそこにあった。
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高田城本丸 |
城内は八坂神社から本丸跡くらいまでは特に変わった様子は無く、東屋が老朽化のためか立ち入り禁止になっているくらいだった。
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城から見た市街地 |
前回、城跡から見た光景は荒涼たる有様だったが、今回は嵩上げ台地の上に商業施設が出来て営業しており、だんだん新しい街が動き出している感じだった。
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本丸背後の堀切 |
本丸背後の堀切にあるトイレも以前と同じ感じで相変わらず入りにくい雰囲気を醸し出していた。
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八幡館(八幡神社) |
本丸の背後が八幡館の郭で、城は元々はこちらが本丸(主郭)だったようである。八幡館も特に変わったところは無いが、松の木の倒木があった。
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八幡館背後の堀切 |
八幡館の背後の堀切とその先の雑木林になった名称不明郭も以前見た光景と同じだったが…。
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通行止め |
名称不明郭の脇を抜けて、確かこの先に耕作地に使用されたような郭跡があったと思っていたら急に視界が開けて通行止めになっていた。
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消滅部分の現状 |
どうやらこの先が復興事業で消滅したエリアのようで、重機が絶賛稼働中であった。とりあえず、通行止めの部分より先に入っては不味いだろうから、ここから先は確認せずに来た道を引き返した。
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消滅前の郭(2013年) |
過去に撮った画像を漁ってみると、どうやら消滅したのはこの辺りの郭跡のようだ。
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消滅前の堀切(2013年) |
画像の部分は城跡の恐らく北端だと思われる堀切跡で、この部分も当然ながら消滅した部分に含まれる。