2018年9月24日訪城。
岩谷観音堂へと参拝した後は、九戸城の中枢へと向かうためにまず市街地化した三の丸の小路の奥にあるガイドハウスへと向かった。
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九戸城ガイドハウス |
ガイドハウスは地味に判り辛い場所にあり、車で来た場合は県道274号線から岩谷橋付近の交差点にある九戸城の案内表示に従って曲がり、進んだ先の裁判所前を右に曲がった奥の砂利道の所にある。文字通り九戸城をガイドしてもらえる場所であるが、軽く資料も展示しており、特にプロモーション映像はなかなかよく出来ているので一見の価値はある。
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九戸城中堀 |
ガイドハウスの隣には九戸城の中枢を囲っていた堀が残っており、復元図では水堀になっているが、現状を見る限りでは泥炭堀だったと思われる。
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二の丸と在府小路の間の堀跡 |
二の丸と在府小路の段丘の間の空間もかつての堀の跡で、今はここに車道が通っている。このため、観光客はここまで車で来てしまうようだが、この先に駐車場は無いため、二の丸大手口前に路駐している光景をこの日も何度か見かけた。一応、トラブルになるとまずいので車はガイドハウス前の駐車場に置いてきた方がいいと思う。
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二の丸大手口 |
二の丸と在府小路の丘との間には土橋が架けられていたようだが、今は車道が横切っている為、土橋は破壊されている。現在、二の丸大手口へはこの車道から斜めに道が取り付けられており、ここから城の中枢に入ることになる。
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本丸内堀 |
二の丸大手口から入って奥に進むと本丸を囲む内堀があり、画像では草で判り辛いが内堀の側面は石垣になっている。この辺りは蒲生氏郷によって改修された箇所で、九戸政実の頃は石垣では無かった。
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本丸南虎口 |
本丸の南側の虎口は外枡形になっており、二の丸とは直接繋がっている。本丸東の虎口が大手門とされているので、特に記載は無いがこちらは搦手門なのだろう。
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本丸東虎口 |
本丸の東側の虎口は内桝形になっており、二の丸とは木橋で繋がっていたとされる。現在はここに何故か斜めに仮設の橋が架けられている。古城絵図などによればこちらが大手門だそうである。
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本丸内部 |
本丸内部は二段になっており、今は境界部分に生垣が植えられている。本丸の土塁は内堀沿いにだけ造られており、3隅には櫓台の跡があった。本丸は段丘の端にあるため、眼下には三の丸跡の市街地が見える。
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二の丸搦手口 |
二の丸の搦手口は堀底に降りる坂になっており、石沢館や若狭館の曲輪へは堀底を通って連絡していたようである。
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二の丸と若狭館の間の堀底 |
この堀底がなかなかの曲者で、若狭館へ向かう場所は道が泥に埋もれており、すっかり靴が汚くなってしまった。
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石沢館跡内部 |
なお、石沢館の曲輪の内部は画像の通り広く、現在は草原になっている。石沢館と若狭館は改修される前の九戸城の様子を色濃く残しているとされており、九戸政実の頃は南部氏特有の群郭式の縄張りの城だったと思われる。
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若狭館跡内部 |
若狭館の曲輪も内部は広いが、こちらは石沢館と違って内部に木々が生えている。
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松の丸内部 |
さらに離れた場所にある松の丸にも立ち寄ったが、ここの内部は二つに別れており、今は南側が公園、北側が墓地になっている。城の中枢からは離れているが、ここも本丸二の丸同様に福岡城時代に整備された曲輪だという。
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松の丸の土橋 |
松の丸と在府小路は恐らく同じ段丘で、この間は深い堀で隔てられている。ここの堀は城内でもなかなかの深さで見応えがあったが、草木が邪魔で写真に撮るとその迫力が全く伝わらないのが悩ましい。画像はその堀に架かる土橋。