2016年9月24日訪城。
高知城散策後に本当は岡豊城に行く予定だったが、岡豊行きのバスの時間が長く空いてしまった為、高知市電とくろしお鉄道を乗り継いで安芸市にある安芸城へと向かった。
安芸城は1308年頃に安芸親氏によって築かれた平山城で、土佐七雄の安芸氏代々の居城である。安芸氏は1569年の八流の戦いで長宗我部氏に敗れ、安芸城に籠城するも進退窮まり、領民家臣の助命を条件に自決して滅亡した。長宗我部氏の改易後に土佐に入った山内氏は、五藤為重を安芸城に配置し、五藤氏は安芸城の平野部を改修して屋敷とした。
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武家屋敷の通り |
武家屋敷のあったあたりは今もその雰囲気を残しており、観光マップ等では「土居廓中」と呼ばれていた。生垣のある画像の通りが印象的だったが、道の先は袋小路なので安芸城に抜けるには途中の十字路を曲がる必要がある。
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武家屋敷の野村家 |
武家屋敷の通りで唯一一般公開されているのが野村家で、塀重門という内門を設けていたり、入口のあたりが狭かったりするのが武家屋敷の工夫のようで特徴的だったが、建物自体はけっこう空間があって暮らし易そうであった。
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安芸城の堀と桝形門 |
安芸城の平野部には内堀と土塁と石垣が残っており、桝形門と周辺の石垣は五藤氏が来た頃に築かれたものだという。
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歴史民俗資料館 |
廓の内部には歴史民俗資料館と書道美術館があり、後者の方は何やら工事中だった。歴史民俗資料館の展示は安芸市出身の有名人の展示がメインで、安芸氏に関しての展示も少しだけあった。
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城山の麓の石積み |
城山の麓部分にも石垣があるが、五藤氏の石垣よりもやや不揃いな野面積みのため、もしかすると長宗我部時代の護岸用の石積みかもしれない。
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城山の本丸 |
城山は小高い独立丘で、登るだけなら3分とかからずに頂上まで登れる。内部は土塁と横堀のシンプルな造りで、今も遺構がハッキリ確認できた。
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本丸に残る石積み |
本丸の北側には古い石積みが残っており、これは明らかに粗さが目立つため長宗我部氏か安芸氏が築いたものだと思われる。