2018年12月15日訪城。
横川から五百川沿いに会津街道を進めば磐梯熱海温泉へとたどり着くが、横川から石筵川沿いに北に分岐する回廊を進むと高玉の集落にたどり着く。1589年に摺上原の合戦の前に猪苗代へのルートを確保したかった伊達政宗はまず安子ヶ島城を落とし、その次に向かったのがこの高玉にある高玉城だった。比較的すんなり陥落した安子ヶ島城と違って高玉城の高玉常頼の抵抗は激しく、城兵は全て討死して結果的に撫で斬りとなってしまったという。
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高玉城址碑 |
高玉城へは愛宕神社の参道から登れるが、参道の入口がある集落とは逆の北側の道路沿いに何故か城址碑が立っている。確かに高玉城をバックに城址碑を入れて撮るならちょうどいいのだが、事前に知っていないと見落としてしまう場所である。
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愛宕神社参道入口 |
集落の中の愛宕神社の入口も意外と判り辛く、民家の脇の道に入り、城の麓を流れる水路に架かるこの橋を渡った先が入口だった。
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愛宕神社参道 |
橋を渡った先には神社の鳥居があり、参道は竹林を通って城へと登る階段へと続いている。当然ながら神社の参道は後から造られたもので、城が健在だった頃はこの場所に道は無かったと思われる。
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腰郭 |
階段は切岸と腰郭を縫って頂上まで続いており、中断に比較的広い腰郭が2段確認できた。内部は竹林でビッシリ埋まっており、藪よりはマシだが倒木もあって散策するにはちょっと厳しい感じだった。
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愛宕神社本殿 |
階段を登り切った先には愛宕神社が鎮座しており、主郭の東端部をくり貫くように削って建てられている。木々や竹林が無ければここからの眺めは良さそうだが、現状はあまり視界が利かない。
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主郭内部 |
神社本殿から1段上に登った先が主郭の跡で、内部は長方形で比較的広く、軍記に載っている高玉氏の屋敷はここにあったのだろう。奥に見えるのは主郭と副郭?を分けている土塁。
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仕切土塁 |
主郭と副郭の間にはL字状にハッキリと土塁が残っており、主郭が重要な区画であることを証明する見事な遺構であった。
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二重堀 |
副郭の西側の山へと続く尾根があった場所には見事な堀切が設けてあり、二重堀で外側は深く掘った素晴らしい遺構だった。安子ヶ島城も横川館も遺構は微妙な感じだっただけに、より一層感動することが出来たといえる。
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虎口 |
城の虎口と見られるものは副郭の北側にあり、そこから堀切に続く竪堀脇の登り土塁の外側に本来の登城路と思われる道が見えた。ただ、城下町は南側にあるので、北側に降りるこちらは搦手口だったのかもしれない。