2018年12月15日訪城。
2018年も終わりというところで温泉にでも行きたいと思い磐梯熱海温泉へと出かけた。途中、安子ヶ島氏の居城である安子ヶ島城跡に立ち寄ったが、ここは伊達政宗が摺上原の合戦の前に進路を確保するために攻め落とした戦いの舞台でもある。
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主郭東堀 |
安子ヶ島駅前も東の出城だったらしいが、台地上は広すぎてハッキリ言って曲輪があったのかどうかもわからない。駅から西に行くと安子ヶ島城の唯一の現存遺構とされる主郭東堀があり、空堀としてはそこそこ大きめの堀があったことがわかる。
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城址碑 |
主郭東堀の西側の水田が主郭跡だが一面水田で土塁などの目に付くものは何も無かった。主郭の車道側やや西に城址碑が立てられているが、正確にはこの位置は主郭西堀があった場所で、圃場整備のために埋め立てられたという。ちなみに車道がある場所も主郭南堀を埋め立てた場所になる。この辺りは国土地理院の1974年の写真を見るとよく判る。
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曲輪跡? |
問題なのは主郭以外の曲輪が昔の写真でも判断付かないところで、政宗記に記された2の曲輪や3の曲輪がどこだったのか謎が残る。画像は主郭よりも西側の水田だが、ここは何気に主郭よりもやや高く、城外だとは思えないので曲輪の跡だと思われる。