2018年11月25日訪城。
如斯亭から目と鼻の先に見える丘陵(五庵山・天徳寺山)は天徳寺の墓所かつ秋田市の霊園兼公園となっており、かなり広大な敷地に公園や墓所が広がっている。この丘陵にはかつて浪岡右近慶好の居館があり、慶好は津軽為信によって滅ぼされて安東氏の元に落ち延びた浪岡氏の遺児である。
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天徳寺墓地公園(平和公園) |
この丘陵一帯は高台は公園で斜面に墓地が整備されているような感じだが、公園についても平和の塔があるあたり等はイベントが出来そうなほどの広さがある。なお、大堤館跡は秋田市の遺跡地図によれば平和の塔がある丘よりも北側の別のピークにある。
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大堤館標柱 |
墓地公園内を通るほぼ一本道の車道を進むとやがて大堤館跡の標柱が見えてくるが、この標柱がある丘の一角が館跡らしい。標柱の文字はかなり摩耗しているため、ギリギリ辛うじて読めるレベルだった。
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堀跡? |
標柱の目の前の丘のピークに登る道があったので、さっそく登ってみるものの、秋田市による立ち入り禁止の看板が…。なお、この道のある場所が標柱に書かれていた空堀の跡だと思われる。先人の記録によればこの階段の上にあるのは四阿なので公園の一部なのだが、倒木やスズメバチの巣などのトラブルでもあったのだろうか?
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立ち入り禁止 |
丘の逆側にも道があるので行ってみたが、やはりこちらにも立ち入り禁止の看板とロープが張られていた。立ち入り禁止になった原因が書かれていないせいでモヤモヤが晴れないが、しかたないので丘のピークは諦めることにする。
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堀切跡? |
大堤館のある丘のピークと南の丘との間には瓢箪のクビレのように狭まった鞍部があり、恐らくそこには堀切が設けてあったであろう形跡がある。墓地の敷地に整地されたせいで元の形状が今は判らないが、墓地の外側に画像のような明らかに丘が切れている箇所が確認できる。