2020年7月27日月曜日

郡山市街と湖南地方への旅:山王館(福島県郡山市)

2019年12月14日訪城。

西ノ内館跡を散策した後は逢瀬川を越えて対岸に移動し、北東の河岸段丘の上にある山王館跡を目指した。ここは「郡山合戦」の時に伊達軍の本陣が置かれた場所で、実際に行ってみると逢瀬川と阿武隈川沿いの低地を望む河岸段丘の末端に位置しており、郡山方面に居る敵と対峙するにあたって本陣が置かれた理由がよく判る立地だった。

日吉神社の鳥居
山王館跡には今は日吉神社が鎮座しており、東の段丘崖の麓に鳥居と参道がある。あと、一応段丘上の北側にも入口がある。


日吉神社
丘の上には日吉神社が鎮座しており、由緒によれば坂上田村麻呂の創建だという。実際、伊達軍がここに陣を構えた頃には既に社があったようで、山王権現が祀られた小山だった。山王は神仏習合時代の呼び名で、後に日吉に改められるが祀っている神は基本的に同じである。


土塁と祠
館跡は頂上の主郭とそれに付随する腰郭で構成されており、主郭の西側には土塁が良く残っていた。ここには何故か沢山の祠が鎮座していたが、どういう経緯で造られたものだろうか?


伊東肥前の碑
境内の一角には「伊東肥前の碑」(市指定文化財)があり、この碑は「郡山合戦」で撤退中の味方を支援する中で討死した伊東重信を供養するために造られたものだという。元々は逢瀬川沿いにあったが、洪水被害を受けたために移転し、最終的に日吉神社の境内に移された。


稲荷神社
日吉神社の境内には摂末社として稲荷神社も祀られており、一目見て稲荷神社とわかる鳥居群が印象的だった。高台にあるとは言え、木々のせいで景観はあまりよろしくないが、この稲荷神社の付近からはわずかに郡山市街が見渡せた。


段丘崖
館跡の南と東は段丘崖になっており、けっこう急斜面で要害の地である。ここを攻めるには段丘上の西か北側から攻めるしかない。