2019年12月15日訪問。
郡山市街に一泊した翌朝、今回の旅の目的地である湖南地方へと向かった。市街地から磐梯熱海経由で湖南地方へと向かったが、今でこそ湖畔沿いに車道があるものの、明治時代以前はここに道は無く、安積盆地からは峠を越えないと湖南地方に行くことは出来なかった。
湖南地方へ向かって最初に立ち寄ったのが「浜路浜」で湖南七浜の一つであり、江戸時代以前は安積盆地から御霊櫃峠を越えて会津へと向かう時に船に乗り換えた浜路湊があった場所である。中世の安積伊東氏が蘆名氏の傘下にあった時、会津の蘆名氏の元へ向かう伊東氏がよくこの湊を利用していた。
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エゾノキ
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浜路浜には郡山市指定の天然記念物であるエゾノキがあり、画像の木は樹齢400年以上の古木である。伝承によれば会津方向から湖を渡ってくる船はこの木を目印にしていたという。
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エゾノキ群
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樹齢400年以上の木は先の1本だけだが、周囲には樹齢200年未満のエゾノキが7本ほど存在しており、これらも併せて天然記念物に指定されている。
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湖岸
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湊と言っても恐らく桟橋があるタイプではなく、時代考証的に砂浜もしくは小石の浜に平船を直接打ち上げるタイプの湊だったのだろう。現状、エゾノキがある辺りの湖岸は護岸されてテトラポットが並んでおり、湊の面影は全くないが、ここよりも北側には前述のような小石の浜が見られる。
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大山祇神社
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エゾノキのある辺りに小さな神社が祀られていたが、由緒などは不明である。「大山祇神社」の額が飾られていたので、水上交通と山の安全を願って勧請されたものだろうか。なお、会津の大山祇神社は総本社の瀬戸内大三島にある大山祇神社ではなく、相模国の三嶋神社から分祀されたものらしい。なので案外この神社も伊豆国出身の安積伊東氏に関連するものかもしれない。