2017年11月24日金曜日

10月の3連休旅行:松山城(岡山県高梁市)

2017年10月9日訪城。

10月の連休最終日は念願だった備中の松山城へと出かけた。想像では城下町から山の上の城が見えると思っていたが、現地に着いてみると街から城は確認出来なかった。というか、予想以上に山が高かった。

松山城は鎌倉時代に秋庭重信が大松山に城を築いたのが始まりだが、1681年に水谷勝隆が近世城郭へと大改築をして今の形になったという。松山城は松山藩の藩庁として幕末まで続き、戊辰戦争では無血開城した。

中太鼓丸櫓跡
とりあえず、路線バスで城見橋まで移動した後、シャトルバスで鞴峠まで登ったが、既にこの時点でかなり高い場所まで移動した。鞴峠から山道を登っていくとまず現れるのが中太鼓丸櫓の立派な石垣だった。ここからは城下町が遥か下に見えて既に絶景でだった。


大手門跡
しばらく山道を登ると大手門跡が目の前に現れるが、ここから先は一気に風景が変わって別世界だった。ここに至るまでは、山の中にピンポイントで遺構があったのだが、ここから先は総石垣造りで、まさに城の内部に入ったという感じである。


登城路と郭群
郭群を脇目に登城路を登ると、脇にある土塀がなんともいい味を出しているが、これも現存する遺構で、「三の平櫓東土塀」という名前で文化財に指定されている。


二の丸
登城路をひたすら登っていくと最も広い郭へとたどり着くが、ここが二の丸跡で、ベンチ等で休憩する大勢の観光客で賑わっていた。あと、ここからちょうど本丸の平櫓と天守閣が一緒に見える為、写真撮影でも賑わっていた。(※画像ではなるべく人が写らないように撮っています)


本丸と天守閣
本丸の平櫓は復元した建物で、管理事務所としても使用されており、ちょうど門の所が料金所で本丸内部は有料になっている。山登りに際してペットボトルの水は持ってきていたが、本丸の給水所のお茶は喉が渇いていただけに有難かった。天守閣は二層二階のコンパクトなもので、本丸から見ると岩山の上に石垣を組んで建っているのが良くわかる。


天守閣からの眺め
天守閣は現存十二天守の中では一番小さいが、そもそも高い山の上に重機が無い時代のこんな建物があること自体がとんでもないことである。それに、天守閣から城下と遠くの山々が十分見渡せるし、これ以上高くなっても景色は変わらないだろう。


秋明菊
天守閣の下には秋明菊が沢山咲いており、ここでは備中兵乱の舞台になった為に赤い花しか咲かないという伝説も天守の説明の中にあった。白く見えるのは蕾のもので、実際咲き切ったものは全て赤い花だった。


本丸二重櫓
備中高松城というと天守ばかりが話題に上がるが、本丸の裏側に回るとこちらには立派な二重櫓があり、これも現存する文化財だという。写真を撮っている場所は後曲輪で井戸の跡があった。


堀切
後曲輪より奥は山道は下り坂になり、ずっと降りて行った先の鞍部に堀切があった。ただ、マップの地名は「土橋」だが、ここの堀切は石垣で補強されており、どう見ても「車橋」や「刎橋」を架けた跡にしか見えない。


番所跡
堀切を渡った先に番所跡の広場があり、この先は再び登りの登山道になって相畑の城戸や天神丸、大松山、大池に続いているそうだが、今回は体調や時間の都合でここでギブアップ。次に来るときは体調も万全にして麓から足で登りたいものである。