2017年11月12日日曜日

10月の3連休旅行:三原城(広島県三原市)

2017年10月8日訪城。

連休2日目は広島県の三原へと向かった。小早川隆景の居城として名高い三原城を見る為である。

三原城は小早川隆景によって1567年に瀬戸内海に浮かぶ大島・小島を利用して築かれた水軍の城であったが、他の城の例に漏れず今は周囲の海は埋め立てられて海城だった面影はない。


中門跡の石垣
現在は三原駅が本丸跡にあるため駅から天守台に直接登れるが、とりあえず二の丸に入るところからスタートしたかったので、まずは中門跡へと向かった。中門跡の石垣は思いのほか残っており、石垣のすぐ内側の二の丸跡に近代的なビルが建っている異質な光景が見られた。なお、二の丸に入る門のはずだが標柱は「本丸中門跡」だった。


臨海1番櫓
中門の石垣の海側の末端にはかつて櫓が建っていたが、現状は櫓台の面影は無くなっており、標柱のおかげでここが櫓があった場所だと分かる程度だった。なお、画像の手前側は当時は海だった。


二の丸跡から見た本丸跡方面
本丸は島を利用していたため一段高く、二の丸は埋め立て地だったため低かったはずであるが、現在は境界が判らないほど平坦になってしまっている。画像奥の駅がある場所が本丸跡で、手前が二の丸跡。奥の駅とやや奥の芝生広場との間らへんにかつては本丸の石垣が聳えていた。


船入櫓の石垣
二の丸跡を東に移動すると石垣が見えてくるが、ここが船入櫓跡になる。なお、城町公園側には登れる場所は無い為、この後大きく反対側に回る羽目になった。


舟入と櫓台に続く道
船入櫓跡へと続く道は駅前から入る小道だけであり、意外と分かりづらかった。画像の水堀か池に見える場所は舟入(当時の港のこと)の跡で、港の大半と外の海が埋め立てられてしまった為に今では池のようになってしまった。


船入櫓の櫓台の上
船入櫓の櫓台の上はかなり広くて公園になっており、ちょっとした城の天守台よりも広かったが、さすがに櫓が建っていたのは先端の一角だけだろう。


船入櫓跡から海を見る
当時は海から港に出入りする船をここから眺めていたようだが、現在はごらんのとおり海だった場所は市街地になっており、海は全く見えない。


本丸石垣
船入櫓から二の丸跡に戻り、いよいよ本丸跡へと向かうが、本丸の面影はかろうじて線路の高架下の石垣で確認できた。画像の部分は絵図に照らし合わせると石垣が折れていた場所で、上には当時は櫓が建っていた。


天守台から見た本丸跡と二の丸跡
駅内部を通って天守台へと登ると、天守台と本丸、二の丸の高低差がハッキリ判った。画像を撮っている手前が天守台で、右に見える一段低い場所が本丸跡、左に見えるさらに低い場所が二の丸跡である。余談になるが、画像左に見える建物は食堂で昼食はここでお好み焼きを食べたがなかなか美味しかった。


後藤門跡の石垣
天守台から北側を見ると、去年復元された後藤門跡の石垣(の一部)が良く見えた。この門跡の左外側に北に延びる水堀があったが、ごらんのとおり今は住宅地でその面影は無い。なお、門跡右側は外郭跡で当時は武家屋敷が立ち並んでいた。


天守台
逆に後藤門跡付近から天守台を見ると画像のような感じで、石垣の傾斜は他の城に比べると緩いように感じる。まぁ、現代なら石垣は緩い方が維持管理の面では助かるだろうけど。


武家屋敷跡
後藤門跡も含めて本丸内堀の周囲は公園化されており、公園西側の一角では武家屋敷跡が見られる。画像の四角い枠がある部分は当時の武家屋敷長屋門の跡で、画像左側は当時の西国街道、画像右奥が武家屋敷の邸宅があった場所になる。


武家屋敷跡背後の石垣
この武家屋敷跡の背後には川が流れており、こちら側でも当時の石垣を確認することが出来た。