2018年8月25日土曜日

8月の帰省の道中の寄り道:村上城(新潟県村上市)

2018年8月11日訪城。

お盆に実家に戻る際、日本海ルートで青森へと向かっていたが、途中の新潟の村上に立ち寄って昼食をとった際、あまりに天気が良かったので、ついつい近くにあった村上城へと登ってしまった。今回はカメラは持ち歩いていなかった為、スマホでいくつか撮ったが、いずれ改めて訪れたいと思ったいい城だった。

麓の村上城跡碑
城跡の山麓の登山口までの道は住宅地の狭い中を通っており、地味に判り辛い感じだったが、当時はこの麓の住宅地の部分も郭だったらしく、その名残で道が入り組んでいるようだった。

一文字門跡
一文字門跡の石碑がある場所から登山道である七曲が始まっており、一文字門は本来は桝形の立派な櫓門だったが、今では桝形の山側の石垣の一部しか残っていないという残念な状態。

四つ門の石垣
山麓の遺構は残念な状態ではあったが、汗をかきながら七曲の山道を登ると突如、野面積みと打ち込み接ぎが混在した石垣が現れて否が応でも期待が高ぶる。ちなみにここは四つ門という十字路に石垣を配置した他では見られない構造の場所でなかなか興味深いものだった。


御鐘門跡
四つ門から二の丸方面へと向かうと、近世のお城のお手本のような鍵の字に折れ曲がる桝形が現れた。この辺りは切り込み接ぎの石垣のため、比較的新しい時代に造られたようだ。


出櫓跡
二の丸からさらに本丸方面へと登っていくと、威圧感たっぷりの突き出た石垣が現れるが、ここが出櫓跡だという。これもなかなかインパクトがあって素晴らしい。


発掘調査
ちなみに城跡の山の上の部分は発掘調査をしており、ブルーシートのかけられた場所や、剥ぎ取った土の山などが至る所に場所にあった。


本丸天守台
山頂まで登るとそこが本丸で、本丸南西部に天守台の跡がある。当時はこの場所に3階建ての天守閣が建っていたが、落雷で焼失し、以後は再建されることは無かったようである。


本丸からの景色
本丸からの景色はなかなかの絶景で、城下町が全て一望できるのが素晴らしい。遠くには日本海も見え、海側から吹き付ける風が心地よくて良かった。ちなみに徒歩でしかここまでは来れないのだが、意外にも地元の方が頻繁に登ってきていたのが印象的だった。

2018年8月6日月曜日

7月の3連休の南奥州の旅:仙台城(宮城県仙台市)

2018年7月16日訪城。

山形で雨が降り出した為、雨雲から逃げるように宮城県側へと移動し、そのまま仙台城へと向かった。元々、寄る予定は無ったので、国際センター駅周辺を軽く散策しただけである。

片倉小十郎屋敷跡
国際センターの目の前に広がる片倉小十郎屋敷跡は公園として整備されると聞いていたので現状はどうなっているか見に行ったところ、なんか背丈1mほどの草に覆われた草原になっていた。さすがにこれは自然に生えてきたものだと思うが、とりあえず整備工事は整地して以降は特に進展していないようだ。


五色沼
以前来た時工事の真っ最中だった五色沼は元に戻り、水質と護岸部分が綺麗になっていた。また、沼の周囲が以前よりも散策しやすくなっていた。


五色沼の橋
昔は奥の沼の方はほとんど埋まっているような状態だったが、今回の工事でハッキリとした沼に戻った為、沼の間の堤に架かる橋も綺麗に見えるようになった。


大手門跡
仙台城の大手門は焼失する前は国宝に指定されており、戦前まではここが城のシンボルで、団体観光客などがこの大手門の前で記念撮影している写真が残っている。先の五色沼でスケートをやっている昔の写真にもこの大手門が写っており、やはり今に残されていないのが一番悔やまれる建物である。

結局この後、仙台も雨に襲われたため、街に戻って昼間っから飲み明かして帰途についた。

2018年8月5日日曜日

7月の3連休の南奥州の旅:山形城(山形県山形市)

2018年7月16日訪城。

多賀城散策後、「冷やしラーメン」を食べる為に宮城県から山形県に移動し、山形市の栄屋でラーメンを食べて15日は終了した。翌日は山形城三の丸の吹張口から稲荷口まで外堀沿いで見落としている遺構があった為、その部分を散策した。


三の丸吹張口
山形城の三の丸には11箇所の城門があったが、一番南側にあったのが吹張口で、画像の箇所がその吹張口跡を外側から見た光景になる。車道はほぼ当時の道をなぞっている為、右側で微妙に折れているのが判る。画面左の低くなっている部分が三の丸の外堀跡で、中央の黒い碑はこの「濠跡」の碑である。今まで見落としていたが、この吹張口から稲荷口にかけての一帯が、三の丸の塁線の名残を良く残しているのが今回の散策で判った。


三の丸外堀跡の石垣?
さきほどの吹張口から濠跡の方に降りて堀底を進むと左手に石垣が見えてくる。一見すると堀の遺構のようにも見えるが、山形城の外堀は城門の周囲以外には石垣を使っていない為、これは現代に造られたこの上に建っている店のための石垣だろう。


三の丸土塁
道となっている堀底を進むとやがて山形のパンフレットにも載っている三の丸土塁の一部が見えてくる。この部分だけは過去にも確認している。


三の丸外堀跡
さらに堀跡に沿って西に進むと鉄道の下を潜ることになるが、ここはちょうど堀の凹みをうまく利用して通路にしている。


三の丸外堀跡
堀跡の道はやや大きな道に合流して北に折れ曲がるが、ここも城内側が高くなっている為、堀跡だというのが判りやすい。


三の丸稲荷口
山形テルサ付近に出ると開発のため塁線がハッキリわからなくなるが、大きな車道のところで西に折れているはずで、そのまま西に行くと画像の稲荷口跡にたどり着く。


壽稲荷神社
稲荷口は「壽稲荷神社」が付近にあったことが名前の由来で、最上義光の時代は城外の稲荷塚にあったが、鳥居忠政の時代に現在地に移された。この神社は江戸時代と同じ場所にあるそうなので、ある意味稲荷口の生き証人でもある。


三の丸外堀跡(双葉公園)
稲荷口の西側にある双葉公園は公園自体が外堀の跡で、公園になる前までは水堀が残っていたそうである。画像右側の高くなっている方が城内で、左側が城外。


本丸跡北部と二の丸跡を跨いで建っていた野球場
なお霞城公園では球場の解体が行われており、ついに本丸跡北部の整備もスタートしそうであった。あと二の丸跡北東部の土塁上の発掘調査はまだ行われており、屏風折れ土塀跡は今回も見れなかった。

2018年8月4日土曜日

7月の3連休の南奥州の旅:多賀城(宮城県多賀城市)

2018年7月15日訪城。

お昼に「白石うーめん」を食べた後、白石から北上して仙台を素通りし、多賀城へと向かった。目的地は古代城柵にして陸奥国府である多賀城跡である。


東北歴史博物館
目的地は多賀城跡だが、すぐ側の東北歴史博物館にも十数年ぶりに立ち寄った。ここは文字通り東北地方の古代から近代までの歴史を扱った博物館だが、その一角に多賀城跡の専門展示があるため、寄っておいて損は無かった。


多賀城廃寺
せっかくなので博物館の近くの多賀城廃寺にも立ち寄った。ここは多賀城に付属して建てられた寺院の跡で、東北地方に築かれた古代城柵にはだいたい寺院が付属している。この辺りは昔来た時と変わっていなかったが、改めて訪れてみるとなかなか趣があって良かった。


南北大路
今回多賀城を訪れて一番見たかったのがこの復元された南北大路で、多賀城外郭南門からまっすぐ南に伸びるメインストリートである。画面奥に見えるのが外郭南門跡のある丘だが、残念ながらそこまでは復元されておらず、途中の車道のところでフェンスに遮られて終わっている。是非とも将来的には南門跡まで伸ばして欲しいものである。


外郭南門
多賀城の外郭には東西と南に城門があり、南門が近世でいうところの大手門にあたる。古代城柵の構造上、この城門が城下から見て一番目立つ建物でありシンボルでもある、ということでこの城門を復元する市の計画が30年前からあり、復元を目指す市民団体も活動しているのだが、資金の問題などで頓挫している。


内郭へ続く大路(萩大路)
外郭南門から内郭へも真っ直ぐ大路が伸びており、公式名称ではないが萩を植えてあることから萩大路とも呼ばれている。現状通れないこともないが、ちょっと草が伸びすぎている為、だいたいの観光客は隣の車道を通って内郭へ向かう。「道」は人が歩かないと自然に帰ってしまうというのが良くわかる光景である。


内郭政庁跡
内郭政庁跡もなんだか草原のようになっているが、ちゃんと建物跡の部分は平面復元されている為、散策すれば配置が良くわかる。


外郭築地塀跡
政庁から再び外郭に戻り、南門跡から東の方にある築地塀の一角を見に向かった。画像の土塁のようなものが築地塀が崩れて風化して出来たもので、前年の発掘調査でこの位置から櫓の柱跡が発見されたので見に来てみたのだが、現状では埋め戻されている為以前の光景と変わらず無駄足になった。


外郭菖蒲園の紫陽花
多賀城の外郭南東部には菖蒲園があり、時期が過ぎてしまっている為、菖蒲は散ってしまっていたが、代わりに紫陽花が満開の花を咲かせていて綺麗だった。