2016年10月30日訪城。
米沢の小野川温泉に泊まった翌日、温泉と市街地との中間の舘山地区にある舘山城跡を訪れた。舘山城は過去に一度訪れていたが、前日に「伝国の杜」の舘山城についての展示を見た限りでは、前回とは状況がかなり変わっていた。
舘山城は奥州藤原氏一族の新田氏の居城で、新田氏は1189年の藤原氏滅亡後は長井氏に仕え、1380年に長井氏が滅亡すると伊達氏に仕えた。中野宗時の謀反に新田義直が加担して征伐されると、舘山城は伊達氏の直轄地となった。定説では伊達氏は米沢城を居城として、舘山城は伊達輝宗が隠居所とするときに整備したことになっているが、近年の調査で実際はもっと早い段階で伊達氏の居城として整備されたことが解ったという。
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舘山城遠景 |
以前来たときは舘山発電所前の車道までバスで来れたのだが、残念ながら廃線になってしまったようで、バスで舘山城に行く場合は小野川温泉の系統の路線バスのバス停から歩くことになる。今回は元々小野川温泉に泊まっていたため、「舘山六丁目」バス停から歩いて向かった。
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伊達政宗誕生の地碑 |
確かまだ結論が出ていないはずだが、保存会の方々が先走ったようで、舘山城の入口には伊達政宗公誕生の地碑が建っていた。ちなみに画像の碑以外にもう一基が別の場所に建っていた。
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舘山城と城下町との間の川 |
『米陽八景』や『米沢城下絵図』などで確認できる橋は画像の位置にあったらしく、橋脚の跡が対岸に残るそうだが、この位置からだとよくわからなかった。
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カモシカ |
余談になるが、ちょうど川を挟んでカモシカと相対することになった。しばらく観察したが、画像の状態のままいっこうに動かなかったため、こちらが先に根負けして立ち去った。
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舘山城東館跡の遺構 |
舘山城の東側の麓は前回は何も無かったのだが、今回は発掘調査で見つかった井戸などの跡を示す看板があちこちに立てられており、川に近い位置にある庭園跡や敷石跡などの興味深い遺構もいくつかあった。
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給水所など |
至る所にある説明看板も手作り感満載だったが、中でも一番は東館から南ルートで舘山城に登る位置にある給水所だった。ゴミ箱のカップの数からそこそこ人が訪れていることが分かるが、実際訪問ノート(画像の引き出しの中にある)を見てみると予想以上に人が訪れていた。
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本丸跡 |
南側の山道から登った先が舘山城の本丸で、以前はただの雑木林という感じだったが、今回は発掘して埋め戻したような箇所がいくつか散見された。あと、河原石とみられる石の山があるのが印象に残った。
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本丸虎口跡 |
今回の舘山城で一番見たかった場所が本丸の虎口跡で、石垣の根本や裏込め石の山等は前回は埋まっていて気づきもしなかっただけに感動ものだった。虎口跡は内桝形の形式だが、内側の出口が河原石で埋め殺しされているため、これは上杉氏による破却の痕跡と思われる。
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本丸と二の丸間の堀切跡 |
本丸と二の丸の間の土塁は前回も見ていたが、土塁の外側の堀切が河原石で埋め殺されているのは今回初めて気づいた。これも同様に上杉氏による破却の跡だろう。
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二の丸 |
二の丸も本丸同様に発掘調査の痕跡があったが、二の丸は上杉氏による整備前に廃城になったようなので、虎口などは伊達氏の頃から変わっていないと見られる。二の丸の見所は画像の奥に見える大人3人分くらいの高さがある土塁で、その外側には深い堀切がある。
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三の丸 |
以前は藪が酷かったためよく見れなかったのだが、今回は三の丸まで行くことが出来た。三の丸は本丸二の丸と違って不整地であまり広さは無く、土塁と外側の横堀(堀切)と謎の塚が印象的な郭だった。なお、画像奥に見える場所が物見台で、舘山城で最も高い場所となる。