2017年3月26日日曜日

極楽寺坂切通(神奈川県鎌倉市)

2017年3月19日訪問。

3月の三連休は結局遠出が出来なかったため、せめて休みの気分を味わおうと近場の鎌倉を訪れた。最初に向かったのは極楽寺坂の切通で、武都鎌倉の城門といえる場所の一つである。なお、極楽寺坂へは江ノ島電鉄の極楽寺駅からアクセスしたが、江ノ電の車内は都心の朝のラッシュ並みに酷い混雑だった。

極楽寺坂切通
極楽寺駅から出て左の坂の上が極楽寺坂切通で、現在は車道が通っているため当時の切通の遺構は見られない。だが、丘陵をばっさり切って通した道だというのは今でもよくわかる。

極楽寺坂の説明板
坂を鎌倉側に下った先に極楽寺坂の説明板がある。坂は元々極楽寺の忍性和尚が切り開いたもので、後にそれを鎌倉幕府が整備して重厚な守りの切通となった。元弘3年の鎌倉合戦ではそれが生かされて、新田軍はこの極楽寺坂を突破できなかった。そのため、稲村ケ崎の浅瀬を干潮になったのを見計らって強行突破してこれを攻略した。

星の井
極楽寺坂の鎌倉側の麓には鎌倉十井の一つである「星の井」がある。諸国行脚中の行基僧正が明星が見えると伝わるこの井戸を覗き込んだ際に虚空蔵菩薩の姿を見出し、これを像に彫って御堂を建立したのが円満院の由緒とあった。この井戸は別名「星影の井戸」とも言い、奥州の二本松城にある「日影の井戸」と、印西の「月影の井戸」と合わせて日本三井戸と呼ばれているが、ここでは鎌倉十井戸としか呼んでいないため、やはりメジャーではないようである。