2017年4月30日日曜日

2017年度のお花見:小高城 (福島県南相馬市)

2017年4月16日訪城。

いわき湯本温泉に一泊した翌日。浜通りを北上して、いわゆる帰宅困難地域と呼ばれる一帯を抜けて南相馬市へと入った。富岡以北~浪江以南の区間は廃墟が広がりなかなか絶句する光景だったが、野生動物除けと思われるバリケードと、所々に警官が居るのが印象的だった。

南相馬市に入って向かった先は小高城で、相馬氏の初期のころの居城の一つである。


主郭跡(小高神社)
小高城は小高い丘の上にあり、丘は低いため決して要害とは言えないが、主郭はなかなか広くて屋形を構えるには十分すぎるものだった。現在はほぼ全域が小高神社の境内となっている。

主郭跡の桜
主郭の桜は訪れた当時は満開で見事だった。西側にソメイヨシノが集まっており、神社の本殿に近い場所にはシダレザクラも数本あった。

水堀
なお、丘の麓には水堀が巡っていたらしいが、東側の一部にかろうじて残っている状態だった。

川沿いの桜並木
城の眼下には川が流れているため実質的にこの川を外堀としていたのがよくわかるが、この川の対岸に広がる桜並木も満開だったため、なかなかの絶景であった。

2017年4月27日木曜日

2017年度のお花見:天神山城 (福島県楢葉町)

2017年4月15日訪城。

磐城平城で花見をした後、いわき市内で遅めの昼食を食べ、一路北上して楢葉町へと入った。目的地は天神山城跡にある天神岬スポーツ公園の桜である。なお、天神山城は誰が何のために築いたか不明で、発掘調査で戦国末期の城ということだけは判明している。

鳥居と桜のトンネル
天神山城の名前の通り城址では天神様を祀っており、城内へと続く参道に鳥居と桜のトンネルがあった。

北田天満宮
城址の主郭跡には天神様を祀る北田天満宮の本殿があり、最近改修したのか所々が目新しい部材になっていた。なお、神社は1308年の創建というので城ができるよりも前からあったことになる。

土塁と堀と桜
城内は予想以上に土塁と堀がハッキリ残っており、堀には土橋が架かっている箇所も確認できた。また、二の郭、三の郭の内部は満開の桜で覆われており、ちょうど見頃で素晴らしかった。

城跡から南方の眺め
城は海まで伸びる段丘の上に作られているため、段丘崖となっている南側への眺めが素晴らしかった。なお、海岸や海に近い低地では震災復興工事が行われているようだった。このためか、観光バスがやってきてはここからの景色をツアー客に見せていた。

岬先端の展望台から見た城内
岬の先端には展望台があり、そこから大海原が一望できる。また、一方で城内の外郭部分も見渡すことが出来る。なお、画像中央左奥の雑木林の先が主郭などのある中枢の郭になる。

あやめ池(外堀跡)
城の外堀跡は「あやめ池」と呼ばれているが、大部分が画像のように改造されて菖蒲どころの状態では無かった。

2017年4月25日火曜日

2017年度のお花見:磐城平城 (福島県いわき市)

2017年4月15日訪城。

先週、東北地方で最も春が早い福島県の浜通りへと花見に出かけた。最初に寄ったのが磐城平城で、平藩の藩庁だった江戸時代の城跡である。ここはもう何度も訪れているが、最近は普通にイベント等で本丸に入れるようになったので、何気に新鮮な発見が多い。


本丸跡
春に本丸内部に入るのは今回が何気に初だったが、意外と桜が多いのは思わぬ収穫だった。

満開の桜
桜は恐らくいずれもソメイヨシノで、ちょうど満開で綺麗だった。

桜と仮藩庁舎
展望台から眺める桜もなかなか乙なもので、左奥に見えるのは明治に平藩の仮藩庁舎として建てられた建造物。

イベント片付け中?
この日も桜祭りのような何かのイベントをやっていたみたいだが、どうやら終わったところみたいで片付けに入っているようだった。仮藩庁舎の方ではまだ何かやっているようだったが、詳しくは確認していない。

丹後沢上段の桜
本丸跡から内堀である丹後沢方面へと移動すると、ちょうど丹後沢公園の谷間の上段が満開の桜で見事な光景になっていた。個人的に城址では本丸跡とここが最も桜の綺麗な場所だと思う。

丹後沢岸辺の桜
丹後沢下段の水辺には桜はほとんど無いが、一か所だけ水面に垂れてその姿を映している桜があった。築城工事で決壊した箇所のすぐ脇にあるため、もしかするとここの地下には…なんて想像してしまう。

2017年4月14日金曜日

小机城 (神奈川県横浜市)

2017年4月8日訪城。

当初、小机城に来る予定は無かったが、新横浜で少し時間を潰す必要があったため、比較的近い場所にある小机城に散策に向かった。翌日ここで祭りがあるようだが、残念ながらその頃には静岡に居るため今年はパスである。


本丸跡
小机城は小さな丘陵に築かれた城で、本丸は方形で周囲を土塁に囲まれている。内部には明日の祭り用の手作りステージとテントがあった。

二の丸跡
二重の堀切を挟んで隣に二の丸があり、こちらには櫓台の土塁があったものの、本丸のように周囲をかこっていた土塁は耕作された時に破壊されたという。

満開の桜
決して数は多くはないが本丸と二の丸に桜が植えられており、ちょうど満開で綺麗だった。天候が悪かったため、どうしても暗く写ってしまうのがもどかしい。

横堀
この城は本丸の周囲に横堀が設けられており、城の規模の割に結構深さがあるのが印象的だった。

堀切と堀切の間の土塁
本丸と二の丸の間には二重の堀切があるのだが、その堀切と堀切の間に仕切り塀のような土塁があり、これもなかなか印象的な構造だった。なお、この土塁のような部分を馬出と想定している資料もある。

帯郭にある祠
前述の横堀の外側には帯郭が巡らされており、その一角に城跡ではお馴染みの祠があった。ただ、何を祀っているかは分からなかった。

2017年4月7日金曜日

刈谷城 (愛知県刈谷市)

2017年1月8日訪城。

1月7日の駿府城散策の後、浜松で鰻を食べたりなんやかんやあって愛知県に入って1泊し、翌日にホテルから比較的近い場所にあった刈谷城跡へと出かけた。刈谷城は16世紀に水野氏が築いた城で、江戸時代には刈谷藩の藩庁となった。

町口門跡
駅から城を目指して進み、まず町口門跡に立ち寄るが、門跡の石碑のそばに小さな民家の門があってちょっと紛らわしい。ここはあからさまに地形に高低差があり、後ほど資料館で見た町口門の地形と一致するため面白い。

大手門跡
地図を頼りに道を進んでいき大手門跡あたりに来たが、全く大手門があった形跡も周囲の堀も残っておらずやや困惑していると、学校側の塀の向こうに大手門跡の石碑を見つけた。どうやら藩校があった郭と三の丸の間の堀は埋められて今は学校になっているようだった。

郷土資料館
三の丸から二の丸に向かう途中の仕切り門跡付近に郷土資料館があったので立ち寄ったが、この洒落た建物自体もどうやら文化財らしい。

刈谷城の模型
中では刈谷市の近代に至るまでの様々な歴史的な資料品を展示しており、個人的には刈谷城の模型が一番ありがたかった。

二の丸跡?
三の丸から本丸へ向かうと、ちょうど二の丸のあたりが谷間のように低くなっており、絵図で見る限りでは馬出のようにも見える。
帯郭から見た本丸隅櫓があった辺り
本丸の帯郭まで来ると本丸南東部が地表を剥ぎ取られたようになっていたが、この部分で発掘調査が行われたようで、将来的には本丸隅櫓を含めた石垣と多門櫓を復元する構想らしい。

本丸跡
本丸内部は現在は庭園のようになっており、北西の隅櫓があった位置に大正時代に建てられた「十朋亭」なる会所がある。ここは現在は公園の休憩所のように利用されている。

本丸については発掘調査で当初期待されていたものが出てこなかったような現地の記述が少し気になったが、いずれ整備が進んだらまた来ようと思う。

2017年4月1日土曜日

駿府城 (静岡県静岡市)

2017年1月7日訪城。

3か月前に名古屋に旅に出た時の話で、この時に道中で静岡に立ち寄った。目当ては現在駿府城で発掘中の天守台である。

駿府城二の丸東御門
訪れた日はまだ正月松の内の期間だったため、駿府城の城門には門松が飾られていた。
天守台の石垣
発掘現場はフェンスで囲まれており、この時は二の丸の西門近くから発掘現場の見学エリアに入れた。天守台石垣は西面の根本が見えるようになっていたが、残り3面もこの規模のサイズだと確かにかなり大きな天守台である。

天守台の石垣の角?
石垣は打ち込みハギで所々にムラがあるため何度か修繕があったのかもしれない。角の方は算木積みだと思われるが石垣が割れているように見える。

(参考)本丸石垣の角
同じ本丸に以前から石垣の隅が見える画像の箇所があるが、そこは綺麗な算木積みなので、天守台の角も本来はこうだったはずである。

きゃっしる
発掘現場の見学エリアのプレハブでは発掘情報や城の歴史情報、映像などを展示しており、「きゃっしる」という駄洒落のような名前が付けられている。

上から見た発掘現場
駿府城全体は県庁別館(県警)の展望台から見下ろすことが出来るため、ここから発掘現場全体を見るため登ったが、やはり天守台跡がでかいのがよく分かった。