2017年4月7日金曜日

刈谷城 (愛知県刈谷市)

2017年1月8日訪城。

1月7日の駿府城散策の後、浜松で鰻を食べたりなんやかんやあって愛知県に入って1泊し、翌日にホテルから比較的近い場所にあった刈谷城跡へと出かけた。刈谷城は16世紀に水野氏が築いた城で、江戸時代には刈谷藩の藩庁となった。

町口門跡
駅から城を目指して進み、まず町口門跡に立ち寄るが、門跡の石碑のそばに小さな民家の門があってちょっと紛らわしい。ここはあからさまに地形に高低差があり、後ほど資料館で見た町口門の地形と一致するため面白い。

大手門跡
地図を頼りに道を進んでいき大手門跡あたりに来たが、全く大手門があった形跡も周囲の堀も残っておらずやや困惑していると、学校側の塀の向こうに大手門跡の石碑を見つけた。どうやら藩校があった郭と三の丸の間の堀は埋められて今は学校になっているようだった。

郷土資料館
三の丸から二の丸に向かう途中の仕切り門跡付近に郷土資料館があったので立ち寄ったが、この洒落た建物自体もどうやら文化財らしい。

刈谷城の模型
中では刈谷市の近代に至るまでの様々な歴史的な資料品を展示しており、個人的には刈谷城の模型が一番ありがたかった。

二の丸跡?
三の丸から本丸へ向かうと、ちょうど二の丸のあたりが谷間のように低くなっており、絵図で見る限りでは馬出のようにも見える。
帯郭から見た本丸隅櫓があった辺り
本丸の帯郭まで来ると本丸南東部が地表を剥ぎ取られたようになっていたが、この部分で発掘調査が行われたようで、将来的には本丸隅櫓を含めた石垣と多門櫓を復元する構想らしい。

本丸跡
本丸内部は現在は庭園のようになっており、北西の隅櫓があった位置に大正時代に建てられた「十朋亭」なる会所がある。ここは現在は公園の休憩所のように利用されている。

本丸については発掘調査で当初期待されていたものが出てこなかったような現地の記述が少し気になったが、いずれ整備が進んだらまた来ようと思う。