休みの最終日は仙台から浜通りを南下して南相馬市へと入り、野馬追で有名な原ノ町へと向かった。江戸時代の原ノ町は総延長24kmにもおよぶ土手で周囲を囲まれており、その中では馬が暮らしていた。人が暮らしていたのはその土手の外側で、今の市役所あたりに南北に街道があり、その街道沿いの500mほどに「原ノ町」の宿場があった。面白いことに街道は土手に囲まれた牧の中を南北に通っており、旅人は木戸から土手の内側に入って、馬が暮らす原を抜けて、また木戸から土手の外へ出るといったルートを通らないといけないのである。実際、水戸藩の藩士がその様子を日記に残している。
というわけで、京都の御土居のようなものを相馬氏が馬のために造ってしまったというのを歴史書で知って、是非ともその遺構を見たいと思って来たが、やはりここも市街地化によって遺構は断片的にしか残っていないようだった。そのため、遺構の中でも比較的よく残っている北東部の桜井古墳付近の野馬土手を見に向かった。
野馬土手 |