2019年7月1日月曜日

春の連休の旅:郡山遺跡(宮城県仙台市)

2019年3月23日訪城。

富沢館跡を散策した後は富沢駅から長町駅まで移動し、郡山遺跡を見に向かった。郡山遺跡は7世紀に朝廷によって築かれた城柵で、7世紀末には陸奥国府が置かれて建物の向きが真北に修正される等、全く別物に改築されている。ただ、8世紀前半には多賀城が完成して陸奥国府はそちらに移るので、郡山遺跡が使用された期間は思いのほか短い。

郡山遺跡の地図
長町駅から大通りを東へ350mほど行くと、郡山遺跡の北西隅にぶつかるが、ここに郡山遺跡の説明板の一つがあり、画像のように地図も載っている。


郡山遺跡説明板
郡山遺跡自体はかなりデカいので、説明板は各地に分散して多く設置されており、画像の説明板は郡山遺跡の外溝の北西隅を説明する内容になっている。


外溝跡
外溝跡は残念ながら埋め戻されてしまっているが、画像のように歩道に色を変えたタイルで平面表示している。画像奥の道路の中央分離帯の場所あたりが北西隅で、埋め戻される前の外溝はそこから東(画像右側)へと折れている。


内郭跡
北西隅から内郭跡を目指すが、周囲は住宅地で地図を見ないとなかなか把握出来なかったが、内郭跡南側付近は比較的広い空き地になっており、ここに詳細な説明板や史跡碑が設置されていた。政庁自体は画像のさらに奥の方で、ちょうど雑木林が見えるあたりである。


政庁跡
政庁跡も確認しようと思ったが、残念ながら住宅地と畑になっており、現状は見れるものが無さそうだった。政庁発掘調査時の写真を見た感じでは、画像の民家の畑の中に政庁跡が埋まっているはずである。


大溝跡
郡山遺跡は内郭の周囲を大溝が囲み、そのさらに外側を外溝が囲むという二重構造になっていた。そのうちの大溝の南側あたりは比較的確認しやすくなっており、遺構自体は埋め戻されているが、現在も窪地になっているため判りやすい。


内郭南門跡
郡山遺跡では唯一確認されている城門跡で、ここから真北に200m行った先に政庁跡がある。なお、門跡自体は埋め戻されている為、現状は住宅地の中にポッカリ空いた空き地にしか見えない。


郡山廃寺跡
古代城柵には必ず寺院がセットで付属するという当時のルール通り、郡山遺跡にも南の離れた一角に廃寺の遺跡が確認されている。ただ、例に漏れずこちらも埋まっている為、現状は画像のような史跡碑が確認出来るだけである。