2019年7月7日日曜日

春の連休の旅:北目城(宮城県仙台市)

2019年3月23日訪城。

郡山遺跡の散策後、続けてすぐ隣にある中世~近世の城跡である北目城跡の散策に向かった。北目城は中世の国人領主の粟野氏の居城だった平城で、後に伊達政宗が一時居城としている。正確にはこの時の居城は岩出山城だったが、上杉との合戦や仙台開府の工事の監督で北目城に居ることが多く、事実上の居城扱いだった。発掘調査でも伊達政宗の時代に整備されたと思われる障子堀などが見つかっている。

北目城跡
城跡は国道4号バイパスと広瀬河畔通りの交差点付近にあり、交差点よりやや西側に城跡の標識と説明板等がある。城跡の正確な構造が判明していない為、明確には言えないが、説明板がある辺りは外郭と推定される。「矢来」が大手とされているので、この付近に城の大手口があったかもしれない。


館の内
交差点のある辺りが住所で言う「館の内」で、今は住所が「東郡山」になっている一部も元は「館の内」だったようなので、恐らく交差点より東側が主郭と思われる。予想される構造は主郭から西に向けて曲輪が展開する梯郭式だが、発掘調査の結果を見ると主郭から西と南に曲輪が展開する構造かもしれない。


堀跡?
「館の内」の北側には明確な落差があり、ここが堀跡と思われるが、江戸時代の「郡山村」の絵図を見た感じでは、旧広瀬川の湿地帯がこの辺りにあったようで、それを自然の外堀としていたのかもしれない。


水路(堀跡?)
城跡の南側の北目宅地を東西に流れる水路は城と城下町の境界の堀跡と思われるが、城跡の西側を南北に流れる水路は城跡の推定域より外にあるため堀跡ではないかもしれない。国道4号バイパスが出来る前のまだこの辺りが畑だった頃の写真だと堀跡は広く畑で、曲輪跡は3mほど高い様子なので、なおさら無関係そう。


出丸跡
城跡南西には「出丸」という地名が残っており、文字通り北目城の出丸跡と思われる。現在は国道4号バイパスが貫通しているため確認し辛いが、画像のすき家のあたりである。