2019年4月6日訪城。
神奈川で花見をした翌週は東京方面へと出かけて滝山城を訪れた。滝山城といえば北条氏照が籠城して武田軍3万の攻撃をギリギリで凌ぎ切ったことで有名な名城だが、元は山内上杉氏家臣の大石氏の城で、大石氏が北条氏の軍門に下った時に北条氏照が新たな城主となり城を改築したという。ただ、滝山城でギリギリまで追い込まれたことから北条氏照は新たに八王子城を築いて居城を移している。
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滝山城大手口付近の桜 |
八王子からバスで移動して「滝山城址下」のバス停で降りるが、どうやらちょうど祭りをやっているようで多くの人が同じくここでバスを降りた。大手道の天野坂の入口にはちょうど満開に近い桜があって綺麗だったが、天野坂のあたりは竹林で滝山城址の大部分は広葉樹だった。
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小宮曲輪の横堀 |
天野坂を登っていくと小宮曲輪や三の丸の横堀が左右に確認出来て心が躍る。城の中心部からはまだ遠い場所だが、これだけ大規模な遺構があることにまず驚かされた形だった。
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小宮曲輪内部 |
小宮曲輪の内部はやや藪になっているが、画像の通り立ち入り禁止になっており、山道から確認するだけに留めた。一応、城址公園にはなっているが、自治体が私有地を借りて整備しているようで、要するにここは私有地でもあるのでこのような形になっているのだろう。
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小宮曲輪北の桝形虎口 |
小宮曲輪自体はいくつかのブロックに分かれており、北側には桝形虎口も確認出来た。虎口を出て堀を渡った先は山の神曲輪に続く山道となる。
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山の神曲輪 |
山の神曲輪は北の丘陵のピークにあり、土塁や削平地で明確に造られていた小宮曲輪と違って急に構造が雑になっており、どうやら城の一部というよりは出城に近い場所のようだった。名前から見ると神社か何かが祀られていた曲輪のように感じるが、現状は何も確認できず、資料によれば城下町の民が籠城した場所だったという。
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山の神曲輪からの眺め |
山の神曲輪は城内で最も高い場所のため北側への眺めはなかなか良かった。画像の中央を流れる川は多摩川で、右奥が拝島、画面左が高月である。
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弁天池を望む |
滝山城の縄張りは山の神曲輪から本丸にかけてU字状になっており、このU字の開いている北側にダムを造って弁天池という水場を城内に設けていたらしいが、山の上からだと池が今も存在するのか全く確認出来なかった。降りるとまた登るのが大変なので結局この日は確認していない。
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三の丸 |
山の神曲輪で行き止まりの為、再び来た道を戻り今度は三の丸へと立ち寄った。内部は画像の通り草に覆われている状態で、小宮曲輪とだいたい似たような感じだった。
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コの字土橋 |
滝山城で驚いた構造の一つが三の丸と千畳敷の間にある土橋で、面白いことにコの字状に折り曲げられていた。道全体で考えるとS字に近い構造である。
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千畳敷 |
千畳敷は三の丸と二の丸の間にある曲輪で、名前の通りなかなか広い曲輪だった。しかも芝生の広場で整備されていた為、ここで休憩をとっている市民も多かった。ちなみにここは当時は治政のための役所があった場所で、民の陳情などもここで受け付けていた。