2019年4月6日訪城。
その1からの続き。
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角馬出 |
千畳敷から二の丸方面へ行く場所には角馬出が設けてあり、二の丸入口は厳重になっている。馬出の2つある入口は一方が千畳敷内部から、もう一方は千畳敷を通らずに外から入るようになっており、この点ではオーソドックスな馬出とかなり異なった構造になっているのが興味深い。
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二の丸 |
二の丸内部も三の丸や小宮曲輪等と同じような構造で、外側に土塁が設けてあり、土塁の外には大きな横堀が巡っていて圧巻だった。
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谷戸の曲輪 |
二の丸、中の丸、本丸に囲まれた中央の谷戸の低い部分にも名称の特に無い曲輪があり、そこではこの日は乗馬体験が開かれていた。案外、当時もここには馬場や厩があったのかもしれない。
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中の丸の桜祭り会場 |
二の丸と本丸の間にある中の丸は今までの曲輪と違ってトイレ等の施設が設置してあり、ちょうどこの日は桜祭りのイベント会場になっていた。そして桜の木もほぼ満開に近い状態で祭りに華を添えており、この日滝山城を訪れていた人々の半分以上はここにいるんじゃないかという賑わいだった。
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中の丸 |
中の丸には何やら寺に似た建物があったが、どうやら昔あった宿泊施設「滝山荘」の一部を改修して残したものらしい。横断幕に書かれている通り、滝山城は続日本100名城に選ばれており、お城のスタンプもこの場所にある。
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本丸と中の丸の間の引橋 |
中の丸と本丸の間には大堀切があり、現在そこには橋が架けられている。当時は今よりも低い位置に引橋と呼ばれる戦時には橋脚を残して本丸側に橋を収納する構造の橋があったらしい。
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本丸大手門桝形 |
引橋を渡った先には本丸大手門の桝形があり、発掘したところここには石畳が敷かれていたという。是非とも生で見たかったが、今は埋め戻されて写真でしか見れないようだ。
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本丸下段 |
本丸内部は2段構造になっており、下段は土塁に囲まれた空間で井戸もあったので主要な生活空間だったのかもしれない。この日の中の丸は騒がしかったが、本丸は一転変わって落ち着いており、静かに花見を楽しむ人々が何組か見られた。
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山桜 |
本丸の桜はよく見ると山桜で、花と茶色い葉が特徴的な桜だが、満開でもソメイヨシノ等の桜に比べてボリュームが無いように見える為、桜の中ではあまり人気は無い。それでも江戸時代以前の日本では桜と言えば山桜を指示していただけに、戦国時代の城跡に山桜はピッタリとも言える。
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本丸上段 |
本丸上段には霞神社と金毘羅神社が祀られており、曲輪は南北に伸びた構造になっている。城内では山の神曲輪に次いで高い位置にあり、画像の左に見える金毘羅神社社殿の位置には櫓が立てられていたという。なお、金毘羅神社は江戸時代に木材を運ぶ水運の安全を願って城跡に勧請された。霞神社の方は靖国系の神社で戦死者を祀っている神社である。
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本丸からの眺め |
本丸からは北側への展望が優れており、今はやや樹木が邪魔だが眺めはいい。なお、画像の左奥に見える丘陵は高月城のある丘。
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出丸から搦手を望む |
本丸から西側には堀切をまたいで出丸があり、その先は麓に向かっていくつかの曲輪や馬出が設置されており、このルートは搦手道に当たる。結局、このルートは途中までしか確認しておらず、今も麓に続く道があるのかはよく分からない。滝山城はかなりの広さがあるため、今回はここで打ち切って信濃屋敷や大池方面なども次の機会に散策することにした。