2023年1月22日散策。
上山藩の城下町は羽州街道の宿場町でもあり、更に温泉宿もあるというなかなか盛り沢山な町で江戸時代にはかなり賑わいがあったようだ。
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矢来橋 |
上山宿の江戸口は矢来橋の手前にあり、道が折れ曲がるように土塁と木戸が設置してあったようだが、現在はその場所がわからないほど痕跡が無くなっている。たぶん画像の矢来橋と交差点との間らへんにあったはずである。
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枡形跡 |
橋を渡った先には枡形のスペースがあり、画像の右手あたりにかつては番所があったのが絵図で確認できる。上山宿に入る人々は一旦ここで身分や荷物を確認されたのだろう。
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上山宿十日町 |
上山宿に入ってしばらく行った場所の十日町あたりが宿場町の中心部で、画像の右手奥に見える「しまづ」が本陣跡である。一方、手前左手は長屋門を改造した建物のようである。
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羽州街道から大手道に入る箇所 |
本陣跡から斜め前あたりにお城に行くための大手道が分岐しており、分岐した先にはかつては上山城の大手門があった。なお、画像の付近には羽州街道の説明板も設置してあった。
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羽州街道から見た観音堂と温泉場 |
羽州街道をさらに北上して交差点で左側を見ると突き当りに観音堂がある通りが見えるが、ここの右手奥に温泉の共同浴場がある。この浴場と観音堂はともに江戸時代の絵図にも載っており、歴史あるスポットである。
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羽州街道から見た愛宕神社 |
羽州街道を更に北上すると愛宕神社の石柱が街道沿いにあるが、ここの愛宕神社も江戸時代と同じ場所に今も鎮座している。なお、ここに至るまでの途中に脇本陣跡があったらしいのだが見つけられなかった。
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鍵の手 |
しばらく進むと道が折れ曲がる宿場町や城下町特有の鍵の手がある。ここを境界にして先の町は十日町ではなく新丁と呼ばれる。
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山形方面の木戸跡付近 |
新丁の先には上山宿の北の入り口である土塁と堀と木戸があったようだが、こちらもハッキリとした痕跡は見当たらず場所を特定することが出来なかった。画像は恐らくここらへんじゃないかなと思った場所。