2019年4月21日訪城。
船岡館跡を散策した後は高田の町に戻り、今度は町の西側にあった高田館跡を見に向かった。高田館は渋川氏一族の小松幸高(小俣幸高?)の居城だった場所で、伝承によれば新鶴城の横山左馬之助に攻め落とされたという。一方で塔寺八幡の古文書によれば渋川義基の居城で、こちらは蘆名盛高によって攻め落とされたという。とりあえず、渋川氏一門の城だったことは確かなようだ。
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主郭跡 |
会津美里町の遺跡説明会の資料によれば今のダイソーのある場所が主郭跡で、主郭はほぼ正方形の形をしていたようだ。
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主郭の土塁 |
主郭跡は南東隅の土塁だけが現存しており、今はその上に雷神社が祀られている。雷様は小松幸高の昔話の中にも出てきているので、城が現役だった頃から祀っているのかもしれない。
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雷神社 |
鳥居と階段が土塁の南側にあり、上には雷神社の祠が鎮座している。小松幸高と奥方が出会った雷様は話の流れ的には城内では無さそうなので、どこか別の場所にも雷神社があると思われる。
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内堀跡 |
主郭の四方にあった内堀は大半が開発で埋め立てられてしまったが、西側の堀だけは辛うじて農地になって窪みが判る状態で残っている。なお、この内堀跡を隔てて西側の丘が外郭跡になる。
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満開のソメイヨシノ |
堀の延長線上には高田中学校があり、堀を埋めて校庭が整備されたようだ。画像の左が学校、右が前述の内堀方向で、この境界を走る道沿いにはソメイヨシノが植えられており、満開で綺麗だった。