2020年6月22日月曜日

晩秋の湯坂路(鎌倉古道):元箱根(神奈川県箱根町)

2019年11月30日訪問。

前回の「鷹巣城」からの続き。

湯坂路の終点
鷹ノ巣山から下りて行くと国道1号に合流するが、ここが湯坂路の終点になる。ここからは芦之湯道という東海道の旧街道の一つに合流する。


国道1号最高地点
芦之湯道を登っていくと、芦之湯の集落を抜けた先の峠で国道1号の最高地点にたどり着く。要するに東海道でここが一番高いということになるが、画像の看板があるだけなのであまり実感は湧かない。


磨崖仏
ここから道は芦ノ湖まで下り坂になるが、峠を越えてすぐのところに磨崖仏があった。地図を見るとどうやらこの周辺は石仏群があるようだ。


精進池
しばらく坂を下ると山の中腹に穴が開いたような池があったが、ちょうど日影になるせいかやや不気味な雰囲気が漂っていた。なお、池の底からは火山性ガスが沸いている為、魚などの生物は住んでいないようだ。


箱根神社の大鳥居
下り坂は交通量が多い割に歩道が狭く地味に大変だったが、別荘地を抜けて芦ノ湖畔にたどり着く頃には元箱根の街に入っていた。元箱根を道に沿って進んでいくと箱根神社の大鳥居が見えてくるが、この大鳥居は一の鳥居で、実は神社は画像とは逆の方向にある。なので、このまま鳥居を潜ると箱根神社の参道から抜けることになる。


芦ノ湖と富士山
大鳥居を潜った先の船着き場の先で、ちょうど山の切れ端から富士山が見えるベストスポットがあった。ハッキリ言って富士山とは相性が悪く、いつも雲や靄に隠れているだけに、この光景には少し感動してしまった。なお、画像右奥の鳥居のある場所が箱根神社の本殿がある場所である。

2020年6月13日土曜日

晩秋の湯坂路(鎌倉古道):鷹巣城(神奈川県箱根町)

2019年11月30日訪城。

前回の城山からの続き。

大平台への分岐
城山からあまり高低差の無い鞍部に下ると、そこは大平台への分岐点で画像の道標の場所から画像の右側に向けて下り坂が伸びていた。次の行先は浅間山なので、ここではまっすぐ進み、正面の尾根に乗って画面左上へ登っていくことになる。


浅間山への山道
浅間山への山道は今までの湯坂路同様に緩やかな登りで、途中の紅葉もまだ見頃の範囲内ではありそうな感じだった。


浅間山の山頂
緩やかな山道を登っているうちに気付いたら浅間山の山頂に着いていたが、斜面は緩やかで展望は全く利かないのであまり山頂という気がしなかった。説明板によれば、ここが鷹巣城という説もあるようだが、現状のメリハリのない構造からはあまり城跡という感じがしない。ただ、登ってくるときに気付いたが、山の北側などに広い平場や緩やかな斜面があり、大人数での駐屯地としては適しているように見えた。


浅間山の山頂から北西側を見る
山頂から北西方面を見ると緩やかな傾斜の草地が伸びており、登ってくる途中にあった湯坂城のように道を遮断するための土塁のようなものも全くなかった。


分岐の道標
浅間山からは千条の滝・小涌谷へ下る道もあるが、今回は鷹巣山へと向かうので別の道から鞍部へと下っていく。この下り坂も登り同様に緩やかで、むしろ緩やかだから街道に選ばれたとも考えられる。


鞍部からの眺め
浅間山と鷹巣山の間の鞍部に降りると、そこでは別の山道(車道)と交差しており、木々の間からは下界の様子も見ることが出来た。たぶん建物がある場所は小涌谷だろうか。


鷹巣山への登山道
鞍部から登っていくと、いよいよ鷹巣山だが、ここは今までの道の中で最も急な斜面だった。メリハリの無かった浅間山と比べると、こちらは要害そのもので、やはり鷹巣城はこの山の上にあったのだと確信した。


脇道
山道の途中で分岐する獣道があったが、この先は後述の横堀に通じており、もしかすると本来の道は山の側面を通っていたのではという気もしてきた。


横堀
画像は横堀を上から見た様子で、堀底道のように移動手段として使われていたようにも見える。


曲輪?
九十九折りの急斜面を登り切った先は恐らく曲輪だと思うが、緩やかに傾斜しているため一見すると曲輪には見えない。ただ、同じ箱根の山中城などの曲輪も水平ではなく傾斜していたりするため、これはこれで北条流の城の特徴なのかもしれない。


土塁?
鷹巣山の山頂を目指して進むと土塁のようなものがあったが、道の片側にしか無いから小涌谷を通る街道から見えないようにする為の目隠し土塁だろうか?


鷹巣山の山頂
山頂には鷹巣城の説明板があったが、北条氏が築いたことと豊臣秀吉の小田原攻めの時に徳川家康が一時入城したことしか具体的なことは書かれていない。山頂は広さから見て建物があったとは思えないが、大日如来の碑があったので元々守護神を祀っていた場所だろう。


主郭跡?
山頂から1段下には帯曲輪があり、西側の2段低い場所には広い平場があって、恐らくここが城の主郭だったのではと思える。籠城用の建物や倉があったとしたらここだろう。


堀底道
山頂から南に下っていく道は途中で深い堀底道になっており、画像のように下から山頂側を見るといかにも大手道という感じがする道だった。


曲輪跡
堀底道を抜けた先から西側を見るとやはり山の側面に広い平場があり、平場の先は断崖のため、人為的に人が作り出した曲輪跡だというのが判る。


城の南端部?
山道を降っていくと道は鷹巣山南の小ピーク脇を通り、ここは道の脇は断崖で狭くなっているため、城門があったとしたらこの付近じゃないだろうか。ここより降ると道は広くなってメリハリが無くなる為、城の南端部は恐らくこのあたりだろう。

2020年6月11日木曜日

晩秋の湯坂路(鎌倉古道):湯坂山~城山(神奈川県箱根町)

2019年11月30日登山。

前回の「湯坂城」からの続き。

石畳の坂道
湯坂城を過ぎると道は再び登り坂となり、石畳もまた見られるようになった。むしろ石畳としてはこの辺りの方が破損も少なくよく残っているように見えた。


木の根の坂道
石畳の坂が終わったと思ったら今度は木の根が波打っている坂道が現れ、ここが意外と歩き難くて大変だった。


紅葉
ここまでは青々とした森の中を進んできたが、急に紅葉が少しだけ視界に入って来た。本数は少なかったが、やはり色づいた紅葉は美しい。


開けた道
坂道を登り切ると道は緩やかになり、この辺りでは山道以外でも平坦な場所が多くみられた。明らかに人為的に平坦にした感じだが、今は木々が覆い茂っており何かの跡地なのかどうかはよく判らない。


紅葉の坂
しばらく山道を登ると、今度は紅葉が山道沿いに纏まって並んでいる一帯に出た。また、この辺りからは比較的空が良く見えて明るい山道に変わっている。


紅葉
逆光でステンドグラスのようになった紅葉を見ると、やはり気分が高揚してくる。


湯坂山?
ずっと登り坂だった山道が一旦ピークに出たため、ここが湯坂山かと思ったが、どうも他の人の写真と比べると違うっぽい。湯坂山は皆口を揃えて「山頂に見えない」と言っているので、知らないうちに通り過ぎていたのかもしれない。



しばらく登ると、山道に霜が出来ていた。ただ、気温はそこまで寒い感じはしていなかったので、標高が高くなって霜が出来やすくなったのだろうか。


ススキの回廊
ひたすら登っていくと今度は山道の脇にススキが覆い茂った、ススキの回廊のような風景に変わってきた。


城山
ススキの回廊を抜けると再びピークに出たが、どうやらここが城山らしい。と言っても、湯坂山同様に山頂の標識などは無かった。「城山」という名称から城跡を期待して登ったものの、どうもこの周囲は斜面もなだらかで土塁や堀らしきものも見当たらず、城跡では無さそうな感じだった。なら、何故「城山」という名称なのか疑問が沸くが、調べても湯河原の城山ばかり引っかかるので結局謎のまま迷宮入りとなった。

2020年6月8日月曜日

晩秋の湯坂路(鎌倉古道):湯坂城(神奈川県箱根町)

2019年11月30日訪城。

冬も間近に迫ったある日、山登りのため箱根へと出かけた。この日、向かったのは箱根湯本から湯坂路(鎌倉古道)を通って元箱根まで登るルートで、東海道が整備されるよりも古い時代の幹線道路の跡でもある。


湯坂路入口
箱根湯本から橋を渡って湯坂路の入口へと向かうが、この入口は尾根の先端ではなく国道を少し登った先にあり、道も狭く倒木で荒れていてなかなか初見殺しな山道だった。


石畳
しかし、ある程度登ると道は急に広くなり、部分的に石畳になっている箇所が散見されるようになった。この石畳は昭和の頃に整備されたらしいが、残念ながらメンテナンスはされなかったようだ。


五の曲輪
九十九折りの道を登り切ると開けた場所に到着したが、ここからはかつての湯坂城の五の曲輪に入るようだ。なお、湯坂城は小田原の領主だった大森氏によって湯坂路を抑えるために築かれた山城である。


三の曲輪
五の曲輪から一段登ると四の曲輪を経て三の曲輪に入る。三の曲輪は湯坂城で最大の広さを誇る曲輪であるが、笹薮が覆い茂っていて山道周辺以外は全く確認出来なかった。


堀切と土塁
三の曲輪をしばらく進むと堀切とその先の土塁に突き当たり、道はここで北側に食い違っている。この先がいよいよ二の曲輪になるが、この箇所の構造から見て二の曲輪は城内でも重要な場所だったと推測される。


二の曲輪の土塁
二の曲輪内部は三の曲輪に比べると狭いが、東側同様に西側にも土塁が設けてあった。現代の山道は土塁の上を乗り越えるように直進しているが、本来の道は画像の土塁手前から右側に迂回して進む道になっている。


一の曲輪から見た二の曲輪の土塁
画像は逆に一の曲輪側から見た二の曲輪の土塁で、画像右に現代の道、画像の左に本来の道が見える。なお、この位置に湯坂城についての説明板が設置してある。


一の曲輪
一の曲輪は他の曲輪よりも狭く、むしろ西側の尾根伝いに来る敵に備えた出丸のようにも感じる。なので、主郭的な機能を持っていたのは、二の曲輪か三の曲輪だと思われる。


西端部の堀切
一の曲輪の先にも堀切があり、ここが湯坂城の端となる。ここから先は湯坂路は登り坂となり、どんどん尾根を登っていくことになる。

2020年6月6日土曜日

晩秋の御岳昇仙峡:猪狩の集落と八王子山(山梨県甲府市)

2019年11月10日訪問。

前回の「昇仙峡の渓谷」からの続き。

金櫻神社の鳥居
仙娥滝から山道を登っていくと金櫻神社の鳥居が見えてきて門前町のような集落に入る。食事処やお土産屋も多く、どうやら水晶が特産らしくやたらと店頭で目に付いた。


布袋様
参道脇で特に目を引いたのがこの布袋様で、願い事を書かれた御札で覆われており、なんだか蓑を被っているような感じだった。


七福神
至る所でよく見る七福神も居たが、よく考えてみるとここにも布袋様が居るので、ちょっと頼られ過ぎではなかろうか。


ロープウェー
集落の中を進んでいくとロープウェー乗り場があり、そこから八王子山の山頂に行けるようなのでそれで向かった。


八雲神社と紅葉
ロープウェーの山頂駅の近くには八雲神社が祀られており、麓の猪狩の集落の人々が昔から祀っていたものだそうだ。画像は神社の裏の紅葉を撮ったもの。



富士山遥拝所の近くの岩場にはなんか鐘もあり、近くには合格岩やら龍の松やらといった名所を造ろうとする努力の痕跡が見られた。


富士山
写真だとイマイチぱっとしないが、肉眼で見ると意外と感動したのが富士山で、やはりこの風景を記念写真に撮っている人も多かった。


美しい自然を守ろう
周辺の尾根を散策すると展望台のような岩場の上に「美しい自然を守ろう」という看板のようなものがあったが、これも記念撮影場所になっているのには少し笑ってしまった。なお、写真は人が居なくなった僅かな隙をついて撮ったもので、ここは常時立ち代わり入れ替わりで人が絶えなかった。


岩場
絶景なのは本当に素晴らしいのだが、高所恐怖症でもあるので同時に岩場が恐ろしく、断崖絶壁の岩の上で普通に休憩している人々を見るとハラハラして気持ちが落ち着かない。

余談だが、金櫻神社は猪狩の集落に里宮があるが、奥宮はここからもっと北の埼玉県との境界の山塊の上にあるという。