2020年6月13日土曜日

晩秋の湯坂路(鎌倉古道):鷹巣城(神奈川県箱根町)

2019年11月30日訪城。

前回の城山からの続き。

大平台への分岐
城山からあまり高低差の無い鞍部に下ると、そこは大平台への分岐点で画像の道標の場所から画像の右側に向けて下り坂が伸びていた。次の行先は浅間山なので、ここではまっすぐ進み、正面の尾根に乗って画面左上へ登っていくことになる。


浅間山への山道
浅間山への山道は今までの湯坂路同様に緩やかな登りで、途中の紅葉もまだ見頃の範囲内ではありそうな感じだった。


浅間山の山頂
緩やかな山道を登っているうちに気付いたら浅間山の山頂に着いていたが、斜面は緩やかで展望は全く利かないのであまり山頂という気がしなかった。説明板によれば、ここが鷹巣城という説もあるようだが、現状のメリハリのない構造からはあまり城跡という感じがしない。ただ、登ってくるときに気付いたが、山の北側などに広い平場や緩やかな斜面があり、大人数での駐屯地としては適しているように見えた。


浅間山の山頂から北西側を見る
山頂から北西方面を見ると緩やかな傾斜の草地が伸びており、登ってくる途中にあった湯坂城のように道を遮断するための土塁のようなものも全くなかった。


分岐の道標
浅間山からは千条の滝・小涌谷へ下る道もあるが、今回は鷹巣山へと向かうので別の道から鞍部へと下っていく。この下り坂も登り同様に緩やかで、むしろ緩やかだから街道に選ばれたとも考えられる。


鞍部からの眺め
浅間山と鷹巣山の間の鞍部に降りると、そこでは別の山道(車道)と交差しており、木々の間からは下界の様子も見ることが出来た。たぶん建物がある場所は小涌谷だろうか。


鷹巣山への登山道
鞍部から登っていくと、いよいよ鷹巣山だが、ここは今までの道の中で最も急な斜面だった。メリハリの無かった浅間山と比べると、こちらは要害そのもので、やはり鷹巣城はこの山の上にあったのだと確信した。


脇道
山道の途中で分岐する獣道があったが、この先は後述の横堀に通じており、もしかすると本来の道は山の側面を通っていたのではという気もしてきた。


横堀
画像は横堀を上から見た様子で、堀底道のように移動手段として使われていたようにも見える。


曲輪?
九十九折りの急斜面を登り切った先は恐らく曲輪だと思うが、緩やかに傾斜しているため一見すると曲輪には見えない。ただ、同じ箱根の山中城などの曲輪も水平ではなく傾斜していたりするため、これはこれで北条流の城の特徴なのかもしれない。


土塁?
鷹巣山の山頂を目指して進むと土塁のようなものがあったが、道の片側にしか無いから小涌谷を通る街道から見えないようにする為の目隠し土塁だろうか?


鷹巣山の山頂
山頂には鷹巣城の説明板があったが、北条氏が築いたことと豊臣秀吉の小田原攻めの時に徳川家康が一時入城したことしか具体的なことは書かれていない。山頂は広さから見て建物があったとは思えないが、大日如来の碑があったので元々守護神を祀っていた場所だろう。


主郭跡?
山頂から1段下には帯曲輪があり、西側の2段低い場所には広い平場があって、恐らくここが城の主郭だったのではと思える。籠城用の建物や倉があったとしたらここだろう。


堀底道
山頂から南に下っていく道は途中で深い堀底道になっており、画像のように下から山頂側を見るといかにも大手道という感じがする道だった。


曲輪跡
堀底道を抜けた先から西側を見るとやはり山の側面に広い平場があり、平場の先は断崖のため、人為的に人が作り出した曲輪跡だというのが判る。


城の南端部?
山道を降っていくと道は鷹巣山南の小ピーク脇を通り、ここは道の脇は断崖で狭くなっているため、城門があったとしたらこの付近じゃないだろうか。ここより降ると道は広くなってメリハリが無くなる為、城の南端部は恐らくこのあたりだろう。