2023年4月30日日曜日

備前街道(因美往来)&因幡街道(智頭往来):智頭宿(鳥取県智頭町)

 2023年4月1日散策

津山から鳥取に向かう途中、JRと智頭急行が合流する智頭駅で待ち時間があったため、かつての2つの街道が交わる宿場町だった智頭宿を散策してきた。

備前街道(因美往来)
駅からまっすぐ進むと途中で備前街道または因美往来と呼ばれる街道と交差するので、街道に沿って北へと向かう。この街道沿いが既に智頭の宿場町の跡らしく、街並みに今もその雰囲気がなんとなく残っている。

智頭宿の巨大な標柱
備前街道を通ってちょうど川に出た辺りに画像のような巨大な標柱が立っており、ここが智頭宿だということがよくわかるが、川を渡った先も智頭宿なので、このあたりは智頭宿の中間あたりになる。

備前橋
千代川にかかってる橋は備前橋と呼ばれており、恐らく備前街道が通っているからこの名称なのだろう。なお、橋の幅は車道としてはかなり狭いため歩くときは注意したほうがいい。

本陣跡
川を渡った先が宿場町の中心部であり、鳥取藩主が因幡街道こと智頭往来を通って参勤交代に向かうため、この場所に本陣が設けられていた。現在は本陣の建物は残っていないが、石碑と説明板が設置されていた。

智頭宿の街並み
宿場町としてはやはりこちら側に時代を感じさせる建物が並んでおり見ごたえがあった。画像は「たけよし」や「米原家住宅」付近の光景だが、駅に戻る時間の都合で「石谷家住宅」までは見て回れなかった。


2023年4月21日金曜日

お花見旅行:津山城の夜景(岡山県津山市)

2023年3月31日訪城

東津山から津山に戻るころにはすっかり日も落ちたため、ホテルでチェックインを済ませてその足で再び津山城へと向かった。津山城のライトアップを見るためである。

表門跡前の通り
津山城の表門跡へと続く通りは夜も沢山の人で賑わい、出店の前は大いに賑わっていた。提灯に明かりが付いたためか、昼間とはまた違った雰囲気なのが良い。

石垣
石垣には画像のように桜まつりのプロジェクションマッピングのようなものが映し出されており、これは今まで見たことが無かったので新鮮だった。ちなみに装置の前を人が通ると影が出来るため、人が多いと地味に撮るタイミングが難しい。

表中門跡
昼間の石垣と高さのある桜が素晴らしかった表中門跡付近もなかなか幻想的な景色で素晴らしかった。

二の丸跡から見た備中櫓
昼間に兎が居た備中櫓の足元付近はかなりピンク色に染まっており、兎も光り輝いていた。そして夜も広間同様記念撮影でにぎわっていた。

切手門跡から見た門跡前の通り
桜のライトアップも素晴らしかったが、個人的には提灯が整然と並んでいる景色も好きであり、画像のように提灯の明かりで道が出来ている光景が印象に残った。

本丸から見た二の丸
昼間に見た桜が圧巻な光景は夜も変わらず見事で、ここを見下ろすベンチも相変わらず大人気だった。余談になるが、本丸では結局休憩できなかったので、三の丸に戻った後にイートインスポットで「そずり鍋」を食べて休んだ。

天守台
本丸の天守台もライトアップされており、夜でも自由に登れたが、階段部分などは暗くて危険な場所もあったので、夜は特に注意した方が良いと思われる。

天守台から見た夜景
天守台から見た夜景もやはり見事で、桜の時期はより一層夜景を楽しめるのは素晴らしかった。

2023年4月19日水曜日

お花見旅行:出雲街道・玉琳の一里塚跡(岡山県津山市)

2023年3月31日散策

津山の城東地区の端まで行った後、出雲街道(出雲往来)を更に東進して玉琳と呼ばれる地区まで移動した。元来た道を戻るのもつまらなかったので、戻らずに東津山駅まで移動するためである。

出雲街道沿いの桜
出雲街道沿いに玉琳まで来ると、ここでも満開の桜が見られたが、何気に桜の木が本来あるとは思えないような場所に生えていたので、今は護岸や舗装がされているが桜が植えられた頃はまだ土の斜面だったのかもしれない。

玉琳の一里塚跡付近
玉琳の場所には江戸時代には一里塚があったようで、画像の場所の説明板にその話が載っている。一里塚は現存しておらず、塚跡らしいものも確認できなかった為、正確な場所を絞り込むことは出来なかった。

因幡街道(因幡往来)との分岐点
ちなみにこの場所は出雲街道(出雲往来)から因幡街道(因幡往来)が分岐する追分となっており、画像のようにそれを示す道しるべも立っていた。

大隅宮饗輿御旅所
画像の石柱は最初書かれている文字の意味が分からなかったが、調べたところ大隅神社のだんじり(神輿)がここまで来て途中休憩する場所(御旅所)のことを示しているという。

2023年4月18日火曜日

お花見旅行:津山城下町の城東地区と出雲街道(岡山県津山市)

2023年3月31日散策

津山城を散策後、城下町へも繰り出して城東地区へと向かった。

東大番所跡
城東地区への入り口の宮川橋の袂には東大番所跡があり、出雲街道を往来して外町から内町に入る人々をここで監視していたようだ。大番所は今でいうところの警察署みたいなものである。

宮川橋
宮川は津山城の外堀の役割も果たしており、この川に架かっている橋を渡って東に行くと城下町の外町である城東地区となる。なお、元々の橋はもう少し上流にあったが、津山城が築かれた時に今の位置に架け替えられたようだ。

重要伝統的建造物群保存地区
城東地区の入り口には重要伝統的建造物群保存地区の石碑が立っており、文字通り出雲街道沿いの町が保存地区に指定されている。

鍵の手
橋を渡ってすぐに城下町特有の鍵の手があって道は大きくクランクする。なお、この付近は橋本町と呼ばれており、画像の正面左に町の説明板がある。

旧苅田家住宅(重要文化財)
城東地区を通る出雲街道を進んでいくと歴史を感じさせる建物が両脇に点在しており、なかなか見ごたえのある城下町っぷりだった。画像の正面あたりの建物が恐らく旧苅田家住宅で重要文化財に指定されている。それっぽい建物が多くて正直散策している時は判別付かなかった。

作州城東屋敷
しばらく街道を進むと作州城東屋敷と呼ばれる資料館を兼ねた屋敷が見えてくるが、残念ながらここは休業中のようだった。画像に見える火事の時に鐘を叩いて鳴らす火の見櫓がなんとも印象的だった。

小さな鍵の手
城東地区の中間付近まで行くと、ここにも小さな鍵の手があった。中之町と新町の境界がここのようなので、新町が出来る前は元々はここが城下町の東端だったのだろう。

箕作阮甫旧宅(国史跡)
新町を街道沿いにしばらく進むと津山藩の蘭学者である箕作阮甫(みつくりがんぽ)の邸宅跡があったが、ここも商家のつくりで風景に馴染んでいるため危うく見落とすとこだった。阮甫は元々は町医者だったようだが藩医に取り立てられ、藩主の御供で江戸に行ってから学者として才を発揮し、外国語の翻訳などでも活躍したようだ。なお、ここの裏の方に阮甫に纏わる展示がある「津山洋学資料館」があるが、閉館時間付近だったので残念ながら立ち寄らなかった。

城東むかし町家(旧梶村邸)
阮甫の旧宅から少し進んだ場所には町屋の資料館である「城東むかし町家」もあったが、こちらも閉館時間のため立ち寄れなかった。なお、内部は庭園などもあって街道側から見た景色よりも立派なようである。

東端の鍵の手
しばらく進むと再び鍵の手にさしかかるが、ここが城下町の東端の鍵の手になるようである。ここの鍵の手には名前が付けられており、「荒神曲」と呼ばれていたそうだ。

城下町の東端部
城下町としての範囲は画像のあたりが東端部で、画像より少し手前の水路あたりが恐らく境界だったのだろう。この先はかつては「東松原」と呼ばれる村で、城下町に隣接する町端在分と呼ばれる地域だった。


2023年4月16日日曜日

お花見旅行:津山城内郭(岡山県津山市)

 2023年3月31日訪城

津山城外郭からの続き。

坂を登り出店が並ぶ道を進むと津山城の表門跡付近に料金所があった。どうやら三の丸より内側が有料区画になっているようだ。

三の丸表門跡
表門跡の冠木門ゲートを通って内部へと突入するが、ここの枡形は鍵の字ではなくぐるりと180度道が折り曲げられており、なかなか厳重な構造だった。

三の丸表門の枡形
画像は枡形の出口側で、画像の左外にさきほどの冠木門のゲートがある。そして正面の階段を登った先が三の丸となる。

三の丸跡
三の丸の桜は全て満開で圧巻だったが、至る場所に花見客が沢山いたため写真を撮るのがなかなか難しかった。画像は人が少なくなった瞬間を狙って撮ったものである。

表中門跡
三の丸から二の丸に登る階段の場所にかつてあったのが表中門で、この場所では桜が視覚の上下に立体的に広がっており、なかなか見事な景色だった。

備中櫓
二の丸に登るとすぐに本丸の備中櫓が見え、流石にビュースポットだからか写真を撮っている人が多かった。それにしてもやはり櫓に桜は良く映える。

備中櫓と兎バルーン
備中櫓の真下には謎の巨大バルーン兎もおり、ここで記念撮影している人(特に家族連れ等)も多かった。なお、備中櫓と兎に気を取られ過ぎて後から二の丸跡内部を撮っていなかったことに気づいた。

切手門跡
二の丸から本丸に登る場所にあるのが切手門跡で、説明が難しいが階段を登った先で道が折れており、ここも特殊な枡形になっているようだった。

本丸跡
独立丘陵の頂上が本丸跡で、思いのほか広かったのが驚きだった。画像の通り東側にだけ土塁というか石垣の塁壁が残っており、恐らく本来の山頂を削り残して塁壁状に加工したものかなと思われる。なお、山頂は二の丸、三の丸よりも人出は落ち着いており、子供の遊び場のようなブースがあった。

本丸多門櫓跡の藤棚
本丸の南側のかつて多門櫓のあった場所には多門櫓の長さの分の藤棚が造られており、ここに並んでいるベンチは全て人で一杯だった。

本丸から見た二の丸の桜
藤棚の場所から見た景色は絶景そのもので、上から見た二の丸の満開の桜は素晴らしかった。この場所のベンチが大人気なのも納得の景色である。

備中櫓の裏側
意外だったのは備中櫓の裏側や内部で、よくある櫓の造りではなく、どちらかというと御殿などの屋敷に近い構造だった。画像のように縁側が付いてる櫓はここでしか見たことが無い。

天守台
本丸の西側には天守台があり、かつてはここに層塔型の天守閣が立っていたようで、明治のころの写真が残っている。天守台のまわりは多門櫓で囲まれていたようで、画像の手前の舗装された部分がその跡になる。

天守台から見た西側の景色
本丸からの景色も十分絶景だが、天守台からの景色も盆地を一望できて素晴らしかった。

天守台から見下ろした御厩堀付近
今回は近くまで行けなかったが、御厩堀の水堀も上からよく見えた。なお、城跡には桜以外に紅葉も植えられていると説明にあったので、画像の右側に見える木がそれなのだろう。可能なら今度は紅葉の時期に来てみたいものである。

粟積櫓から見た北側の景色
天守台のほかに、本丸の北東隅にも粟積櫓の櫓台があり、ここもかなり高いため眺めが素晴らしかった。ここから見下ろすと城の北側にも桜の木がしっかりあり、城跡は全体的に桜に覆われていることがよく分かった。


2023年4月15日土曜日

お花見旅行:津山城外郭(岡山県津山市)

2023年3月31日訪城

スケジュールの都合で3月31日から3日ほどしか休みが取れなかったが、この機会に一生に一度は行きたかった津山へと旅に出た。宿の予約を取った当初は桜の季節には1週間ほど早いかと思ったが、今年は記録的な早咲きとなったため偶然にも満開ドンピシャだった。

出雲街道から見た大手口
現地に特に案内板などは無かったが、出雲街道から城の外郭の大手口に向かう場所が画像のT字路となる。左右に走る道が出雲街道で、奥に向かう道が大手道である。

惣堀跡の水路
外郭(惣構)は当時は水堀に囲まれており、その名残となる水路が今も残っていたが、当時の水堀はもっと広かった。

惣堀跡
水路の隣の今は駐車場になっている場所もかつての水堀跡で、地図上で計るとかつての水堀はだいたい25mくらいの幅があったようだ。

京橋御門の石垣
水堀の幅に関しては現存する京橋御門の石垣のおかげでハッキリと認識することが出来た。ちなみに画像の手前の砂利の場所がかつての水堀跡である。京橋御門は枡形門だったが、今は門の西側の石垣だけが現存しており、残りは失われてしまっている。

京橋御門跡の石碑
ちょうど枡形跡の内側あたりに今は交差点があり、その場所に京橋御門跡の石柱が建てられている。

京橋御門石垣の内側
京橋御門の石垣は航空写真で見るとけっこう広かったので脇には多門櫓があったのだろう。内側には階段があるため上に登れるようになっていたが、画像のように緑色のロープが張られていたいたため、残念ながら確認するのは諦めた。

大手道の坂
大手道をT字路で折れながら進んでいくと、ちょうど桜まつりの出店が並ぶ坂へと入った。ここは脇に津山市の観光センターもあり、観光バスなども停まっていて人の出入りでにぎわっていた。

坂の上から下を見る
坂を上ってから下を見るとなかなか趣ある風景が広がっていたが、昔は武家屋敷が坂の両脇にあったのだろう。実際、絵図でも外郭一帯は侍屋敷と記載されており、津山藩の家臣たちが住まう町だった。

津山城内郭へ続く。