2017年4月23日訪城。
一関の街で一泊した翌朝、一関から北上山地を通って気仙沼に続く気仙沼街道の中間地点の千厩へと向かった。千厩は前述の街道の宿場町であったが、それ以前は千厩城の城下町でもあった。千厩城は葛西氏家臣の金野氏の居城跡で、金野氏は元は奥州藤原氏や安倍氏の時代に北上山地の金山経営に携わっていた在地豪族である。
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千厩川 |
千厩の街を流れる千厩川の歩道橋を渡る途中、満開の桜に川を渡る鯉のぼり、そして奥に名峰の室根山が見えるという、なかなか風流な景色を見ることが出来た。
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千厩城(舘山公園) |
千厩城跡は街の南の丘陵地帯にあり、城の西舘の跡が今は舘山公園として整備されていた。公園の桜は満開一歩手前といった感じで十分見応えはあったが、曇り空と技術不足によりあまり良い絵は撮れなかった。
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館山公園からの眺め |
城はさほど高くない丘の上にあるものの、それでもここから街が一望できるため眺めは悪くなかった。
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館山公園の頂上 |
丘の頂上の公園の広場が西舘で最も広い郭の跡で、ここの西の一段下に二番目に広い明確な郭跡があるが、他は腰曲輪や見張り台程度と思われる小さな郭が散見されるだけである。なお、千厩城跡の標柱がここに立っているが、ここは城の外れで中心部ではない。
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千厩城主郭跡(市民センター) |
城の中心部は公園から沢を挟んで東側の丘の上にあり、今は市民センターや市民体育館が建っているため、元はどうだったのか全く分からなかった。なお、ここから南にさらに高くなっている場所があって、そこが主郭跡にも思えるが定かではない。
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千厩宿の桝形 |
千厩の街中には宿場町特有の桝形の道が残っており、正面奥の折れ曲がった箇所に「大夫黒」の顕彰碑が立っている。「大夫黒」は藤原氏が源義経に与えた名馬で、千厩の松沢が産地だという。