2018年7月28日土曜日

7月の3連休の南奥州の旅:白石城(宮城県白石市)

2018年7月15日訪城。

連休初日は白河に寄った後、宮城県の白石市まで北上し、翌日は「白石うーめん」の店が開店するまで白石城のあたりを散策した。

白石城遠景
朝方はやや曇っていた為、山の方にも霧がかかっているが、結局日中は晴天になったためこの日も熱かった。画像は泊まったホテルから見た白石城。


白石城の惣堀跡
今まで何度か白石には来ていたが、白石城の最も外側にあった惣堀跡は写真に残していなかったので、今回立ち寄ってみた。白石城の水堀は全て川から引いている為、水が常に循環しており、堀跡はそのまま今は水路となっていた。たまに小魚が泳いでおり、街中を流れているにしては綺麗である。


三の丸跡と堀の跡
白石城の三の丸は今は城下広場や駐車場などになっているが、そこの外側にも堀は当然あり、今は水路に変わって蓋が付けられて歩道になっている。画像の模擬城壁の向こうが三の丸跡で、手前の車道がかつての堀跡。


白石城天守下
そのまま厩口方面から城の中心部に向かったが、本丸はつい最近も来ていたので素通りして二の丸へと向かった。


白石城二の丸跡
二の丸跡は特に代わり映えしていないが、今までちゃんと見ていなかった気がするので、しっかり回ってみた。


二の丸跡の紫陽花
二の丸跡ではちょうど紫陽花が見ごろを迎えており、初夏の風情が出ていて良かったが、贅沢を言えばもうちょっと沢山花が付いていてほしかった。


常林寺
二の丸跡から沼の丸跡を通って一度城外に出た後、城のある丘よりも南の方にある丘にも向かった。この丘の麓に常林寺があり、何気にここにも城の「時の太鼓」が移されており、白石城の関係スポットだった。ただ、軽く立ち寄っただけでは「時の太鼓」が拝めるかどうかは判らなかった。背後の丘は中世の白石氏時代の白石城じゃないかという説もあったが、立ち寄った限りでは墓地や一部宅地でさっぱりそれらしきものは確認出来なかった。


八幡坂西陣場跡
常林寺裏の丘からさらに南の方にも切通を跨いで丘は続いており、そちらの方も旧白石城説があったが、現状は宅地開発で丘の上の団地になっており、それらしきものは確認出来なかった。画像はその丘の西側にあった空き地で、地図を見ると陣の跡ということになっていたが、調べた感じでは伊達政宗が白石城を包囲した時の包囲陣の一つだった場所のようだ。ちなみに政宗の本陣は白石川を跨いで北側の現在陣場と呼ばれる場所に置かれた。

2018年7月24日火曜日

7月の3連休の南奥州の旅:白河城(福島県白河市)

2018年7月14日訪城。

7月の3連休は元々は西日本へ行く計画を立てていたが、未曾有の豪雨災害でとんでもないことになってしまった為、当然ながら急遽取り止めに。関東も気温がしんどい状況になっていった為、結局逃げるように北に向かった。

悪いことは続くもので、携帯の時刻同期がいつの間にかoffになっていたため数分ズレていたのに気づかず電車を乗り逃がす羽目になったり、予備バッテリーが死んでしまった為、急遽宇都宮のヨドバシに立ち寄ったり等、イレギュラーに悩まされて大幅に時間をかけて奥州の入口の白河へと到着した。

白河城(小峰城)の本丸入口
さっそく東日本大震災からの復旧工事中の白河城へと立ち寄ったが、ちょうど17時を回っていた為、残念ながら本丸は閉門されていた。前回来た時に本丸周辺に居た重機は居なくなっていた為、どうやら中心部の復旧工事は完了したようだ。


竹之丸の石垣
がっつり崩落していた竹之丸の石垣は綺麗に修復されており、破損した石垣は新しい石に交換されているため、明暗入り乱れたステンドグラスのようだった。


月見櫓
また、全壊してしまっていた月見櫓の櫓台も修復されており、こちらも交換した石垣が真っ白で眩しかった。それでも時間が経てばやがて周囲の石垣と同じになるため、こんなのが見られるのも今だけの特権である。


二の丸茶屋
今回驚いたのは「二の丸茶屋」で、以前は画像の正面に玄関があったのだが、今回無くなっており、一瞬茶屋が閉鎖されたのかと思ったが、どうやら建物をリニューアルしただけだった。17時の時点では既に閉店しており、内部がどう変わっているのかは確認していない。


城の裏側
内堀の外側を周って城の裏側も確認したが、やはり重機は1台もおらずこちらの石垣も修復は完了しているようだった。ただよく見ると土嚢が積まれており、崩れていない部分にも孕みがあるのかもしれない。


搦手門跡
城の裏側から城内に入る搦手門跡の石垣も以前は通路を塞ぐほど崩れていたが、いつのまにか綺麗に修復されていた。


花畠付近(奥は三の丸の高台)
では、今はどこを修復しているのか探してみた所、三の丸の北側にある花畠と呼ばれる郭の周辺を修復していた。画像の重機が居る場所が蛇尾堀と呼ばれた外堀の跡で、今はほぼ全て埋め立てられている。その奥の陸地が花畠の郭で、さらに奥に見える高台は三の丸の北端部である。今まで気が付かなかったが、三の丸の北端部に櫓台があるのが良く見える。


花畠付近
花畠の郭も石垣造りだったようで、今まで草木が邪魔で見えなかった為、ここに石垣があるのに気が付かなかった。この点では今回訪れたのは大きな収穫だった。

2018年7月22日日曜日

2018年の花見旅:大館城(秋田県大館市)

2018年5月2日訪城。

津軽平野の桜は遅咲きの桜以外が散ってしまっている状態だったため、もっと内陸の標高の高い場所に行こうと思い立ち、当初の予定には無かった大館市へと移動した。大館市の大館城(桂城)も何度か来ている場所だが、今回はちょうど発掘されている堀もあるということでそれも確認してみようと思い訪れた。

本丸跡(桂城公園)
大館城の本丸に来たが、やはり残念ながらソメイヨシノはほとんど散ってしまっていた。ただ、桜祭りはまだやっているようで、露店がいくつか並んでいた。


枝垂桜
それでも本丸跡では枝垂桜等がいくつか満開で咲いており、辛うじてまだ花見が楽しめる状態だった。


八重桜
二の丸跡は今では市役所や裁判所になって遺構が全く見られないが、ここの桜もちょうど満開で綺麗だった。


発掘された内堀跡
それで、もう一つの目的だった発掘された内堀跡はフェンスの外からだとごらんの通りで、よく見えないという残念な結果になった。


内堀の現存部分
現存する内堀は公園の入口の画像の箇所のみで、発掘箇所はちょうど画像の逆側の方になる。堀沿いに散策コースでもあるといいのだが、現状は溜池みたいになっているのが勿体ない。


車道になった内堀跡
現存していない堀はだいたい埋め立てられているが、一部は画像のように車道として利用されている。画像右側が本丸跡で、左側が三の丸跡になるが、ちょうど堀の橋が架かっていた場所付近に今も橋が架けられている。


外堀跡
せっかくなので外堀跡もどうなっているかも見て回ったが、ほぼ全てが埋め立てられて車道等になっていた。辛うじて画像の箇所等で高低差から堀の跡が推測できるレベルである。

2018年の花見旅:堀越城(青森県弘前市)

2018年5月1日訪城。

弘前城で花見を楽しんだ後、郊外へと移動して弘前城が完成する前の津軽氏の居城である堀越城へと移動した。堀越城にはかなり久しぶりに訪れたが、ちょうど史跡公園整備の真っ最中で以前とは大きく変貌していた。

二の丸の虎口(土橋)
弘南バスの堀越のバス停から熊野神社の鳥居を潜った先が城跡で、住宅地になっている小丸跡を抜けると二の丸の虎口となる。画像はその虎口の土橋の部分になるが、正面に見える土塁の穴は公園の通路の為の穴で、残念ながら虎口ではない。


二の丸の虎口(喰い違い虎口)
二の丸のこの部分は喰い違い虎口になっており、土橋を通って堀を渡った後、画像左に見える犬走を通って画像中央の土塁が死角になっている虎口から入る構造になっている。


二の丸
二の丸跡内部には蔵や鍛冶場があったようで、画像のように蔵の跡が平面復元されていた。奥に見えるのは本丸の土塁と西門跡。


本丸内堀
外堀は現状空堀になっていたが、本丸の内堀は水堀になっており、この辺りは以前来た時と同じ風景である。本来なら本丸のソメイヨシノが堀沿いに見られるはずだが、この時には既に全て散ってしまっていた。


本丸熊野神社
本丸内部には以前と同様に熊野神社が鎮座しており、神社のところは発掘調査していないがかつては奥御殿があった場所と推測されている。


本丸の八重桜
神社の鳥居の先に八重桜が1本だけあり、ちょうど蕾から咲き始めているところだった。辛うじて花見にはなっているが、花も見るなら4月下旬のソメイヨシノの頃に来る方が良さそうだ。


本丸御殿跡
本丸跡には本丸御殿跡が平面復元されており、規模的に同じ県内の根城の本丸御殿と似たような建物が建っていたようだ。以前来た時には、この辺りには公園の遊具等があったので、本丸内ではこの東側が特に史跡整備で変わっていた。


本丸東門跡
特に一番驚いたのは本丸東門跡で、以前来た時は土塁が開墾か何かで欠けた跡だと思っていたが、それは大きな間違いで、この場所には櫓門とそれに繋がる門番の詰め所があったのだという。どうみてもこちらが大手門であり、西門の方は裏門ということになる。


整備中
三の丸についてはまだ絶賛整備中であり、土塁の上に登れる場所等もまだ説明版が枠のみ等で、外堀方面では重機が稼働中だった。


史跡公園全体図
堀越城の史跡公園整備は来年まで続くようで、2018年5月1日時点では画像の色の付いている部分の左上3分の1ほどしか開放されておらず、下の方や国道を挟んだ右側等は工事中になっている。

2018年7月9日月曜日

2018年の花見旅:弘前城(青森県弘前市)

2018年5月1日訪城。

GWに入ってからは桜前線を追いかけて北東北に移動したが、今年は前線の速度が速く、GWの桜の名所である弘前城も既にソメイヨシノが散ってしまっていた。ただ、ソメイヨシノ以外の桜はほぼ満開であったため、多様な桜の意外な一面が見れて結果的には良かった。

三の丸東門近辺の桜
弘前城には本当に多種多様な桜があり、色々見て回ったものの名前が覚えられないくらいだった。画像は左は枝垂桜で、右は横浜緋桜。


三の丸東の広場の桜
三の丸の東の広場付近が腰を据えた花見客には人気のようで、このあたりには関山桜や普賢桜等の花のボリュームがある桜が多くて圧巻だった。画像の左が関山桜で右のもこもこしてるのが普賢桜。


三の丸ピクニック広場の桜
変わり種だと黄緑色のウコン桜なんかもところどこに見られた。似たようなものに御衣黄桜があるが、こちらは三の丸追手門付近にあった。


北の丸の八重桜
北の丸は桜祭りの時期は沢山の露店で賑わいを見せるが、このあたりでは八重桜の関山桜が多くみられた。なお、弘前城の露店で食べた中では「嶽きみ」の揚げ物が一番好きだった。


本丸の桜
本丸は枝垂桜が目立っていたが、天守の近くだとウコン桜も満開で綺麗だった。ちなみに残念ながらこの日は岩木山は曇って見えなかった。


本丸石垣修理現場
本丸の石垣修理現場はちょうど石垣を解体し終わった所のようで、全体的にシートが掛けられていた。画像は石垣修理現場を横から見ることが出来る本丸のプレハブの中から撮影。


弘前城情報館
弘前城には今まで何度も来ているが、今回弘前城を訪れて驚いたのは「弘前城情報館」なる施設が新しく出来ていたこと。ここの中では主に映像での弘前城の資料が見られ、プロジェクションマッピングの展示等は新鮮で面白かった。

2018年7月1日日曜日

2018年の花見旅:松山城(山形県酒田市)

2018年4月22日訪城。

酒田で一泊した後、翌日は酒田市郊外の旧松山町へと出かけた。ここには松山城があり、かつては酒田藩支藩の松山藩の城下町だった場所である。

水路
松山の町に入ると街中を横切る水路が目に付くが、これは城下町の頃から残る水路で、水路より山側がお城と武士の町で、平野側が民衆の町だった。水路は真っ直ぐではなく緩やかにカーブを描いており、独特な街の風景を生み出していて面白い。


大手馬出
城の大手口には丸馬出があり、馬出の外の堀は残念ながら埋まっていたが、その形がよく残されていた。画像の手前のアスファルトが堀の跡である。


大手門
馬出を含む城址の本丸周辺は今は歴史公園になっており、馬出の先には山形県では唯一現存する櫓門の大手門があった。城としての知名度はかなり低いが、文化財としては奥羽圏内でもかなり貴重なものでとにかく見事なものである。何せ移築を除けば櫓門が当時と同じ位置にあるのは東北地方では弘前城くらいしかない。


本丸跡
大手門の先はかつては三の丸跡で、今は文化伝承館があるが、すぐそばに少し高くなった広場があり、ここが本丸跡になる。当時は本丸と三の丸は区切って間に堀を置き、三の丸からは二の丸を経由しないと本丸に行けないような構造になる…はずだったが、資金難で結局内堀は造られなかった。


本丸の桜
馬出の桜もソメイヨシノや枝垂桜が綺麗だったが、本丸の隅にも数本だけ桜があり、ちょうど満開で綺麗だった。


本丸土手
本丸跡の広場周辺では土塁は見られなかったが、そこから城址館がある北側へ行くと本丸土手という土塁の一部がちゃんと残っていた。ただ、ペーパープラン時代の絵図を見るとここは二の丸の土塁に見えるので、結局二の丸と本丸の境界が完成せずに本丸として認識されていたということだろうか。


十三間堀
本丸土手とは逆に公園よりも南の学校や住宅地のある方面に行くと、三の丸の外堀の一部だった十三間堀が残されていた。ここの堀の周囲にはソメイヨシノが植えられており、この時はちょうど桜吹雪が始まりだして綺麗だった。当然、堀には真新しい花筏が出来ており、これもまた綺麗だった。


藩主邸跡で後に藩校跡
最後に藩主邸があった二の丸跡も立ち寄ったが、ここは藩主邸の後に藩校が造られており、現在はその跡が学校になっているのだから面白い。